碓氷峠の赤き宝石「めがね橋」〜明治時代の鉄道遺産が語る土木建築の傑作〜

群馬

群馬県安中市と長野県軽井沢の県境に位置する碓氷峠。そこに時代を超えて聳え立つ一つの橋がある。通称「めがね橋」と呼ばれる碓氷第三橋梁。レンガ造りの雄大なアーチが織りなす幾何学模様は、明治の土木技術者たちが山岳地帯という難所に挑んだ証である。

訪問するたび、二百万個を超えるレンガが積み上げられたこの橋を眼前にすると、明治時代の建築技術の高さと職人たちの執念が、建築物を通じて時間を超えて伝わってくるような感覚に襲われる。今回は、日本最大級のレンガ造りアーチ橋の秘密に迫り、その魅力と訪問情報を詳しくお伝えしたい。

近代日本を象徴する建築遺産の誕生

碓氷第三橋梁が完成したのは明治26年(1893年)。高さ31メートル、長さ91メートルのこの巨大なアーチ橋は、日本の鉄道史において極めて重要な役割を担っていた。

それは当時、高崎駅と直江津駅を結ぶ信越本線の建設が進められていた時期のこと。しかし碓氷峠という急勾配の難所だけが未開通のままであった。この難関を突破するため、鉄道当局は急ピッチで工事を進める必要に迫られたのである。

設計者は、1882年にイギリスから招聘されたイギリス人技師・パウナル(Charles Assheton Whately Pownall)と日本の技師・古川晴一。海外の先進的な設計思想と日本の技術が融合した、まさに明治日本の産業革命を体現する設計チームであった。

1891年に着工された工事は、1893年にわずか2年で竣工した。その背景には、当時の鉄道建設が国策である実現の重要性と、職人たちの血のにじむような努力があったに違いない。

二百万個のレンガが語る施工技術

このアーチ橋の圧倒的な存在感の源は、使用されたレンガの数にある。二百万個を超えるレンガが、一つ一つ丁寧に積み上げられ、複雑なアーチ構造を形成している。

煉瓦造りのアーチ橋という形式が日本で採用されたのは、このめがね橋が最初であった。ヨーロッパでは既に確立された技術であったが、日本の山岳地帯で、しかもこの規模で実現されたことは、世界的に見ても稀有な事例である。

赤レンガの壁面を観察すると、部分的には煤が付着し、かつて蒸気機関車が行き来していた時代の面影が今も生々しく残っている。特にトンネル部分の天井には、明治から昭和にかけての長年の歴史が黒くすすとなって刻まれており、建築物としての時間の重さを物理的に感じさせる。

当初、開業直後から橋梁の強度不足が指摘され、1894年には大掛かりな補強工事が実施された。この耐震補強は、当時の技術者たちが安全性に真摯に向き合った証であり、近代的な土木思想の現れでもあった。

鉄道遺産から遊歩道へ 新しい命吹き込まれた古い橋

昭和38年(1963年)まで、約70年にわたってこの橋は信越本線の重要な役割を担い続けた。しかし新線の開通により、その使命を終えることになる。

廃線となった路線は長く時間の中に埋もれていたが、近年になって転機が訪れた。かつての鉄道路線は「アプトの道」という遊歩道として整備されたのである。このプロジェクトにより、めがね橋は建築遺産から観光資源へと生まれ変わった。

現在、誰もが自由にこの橋の上を歩くことができる。橋を下から見上げる壮観さ、そして橋の上から眼下に広がる山々の景観。両方の視点からこの建築遺産を体験できることは、稀有な機会である。

特に秋の時期、紅葉に彩られた木々の中にたたずむめがね橋の姿は、古い建築物が自然と調和する美しさを象徴している。

アプトの道とともに味わう建築の旅路

アプトの道は、めがね橋だけでなく、複数のレンガ造りトンネルを保有している。これらのトンネルは、かつてアプト式鉄道の一部として機能していたもので、すべてが煉瓦造りの国重要文化財として指定されている。

アプトの道に足を踏み入れると、トンネル内の涼しい空気が真夏でも心地よく体を包み込む。トンネルの照明は午後6時まで点灯されており、薄暗い石造りの空間を進む体験は、時間を遡るような感覚さえ呼び起こす。

橋梁から400メートル程度の距離に位置する第5号トンネルまで歩を進めば、廃線跡を利用した約1時間のハイキングコースを満喫できる。建築と自然が融合した土木遺産の総合博物館とも言うべき空間である。

訪問情報:駐車場とアクセス

碓氷第三橋梁(めがね橋)を訪問する際の実践的な情報をお伝えする。

駐車場情報

主要な駐車場は、めがね橋から約300メートル長野県方面にある無料駐車場である。普通車22台分のスペースがあり、体の不自由な方向けの優先駐車スペースも1台確保されている。駐車場にはトイレも完備されており、特に紅葉シーズンなどの繁忙期においても快適に利用できる設備となっている。

また、熊ノ平駅跡へアクセスする別の駐車場や、碓氷湖畔の駐車場など、複数の拠点が整備されている。最寄りの駐車場から橋までは徒歩5分程度で、特に難しい道のりではない。

ただし、秋の紅葉シーズンには周辺が混雑する傾向があり、可能な限り早めの到着を推奨する。

自動車でのアクセス

上信越自動車道「松井田妙義IC」から国道18号線の旧道経由で約15~20分。ただし注意すべき点がある。横川駅を過ぎた直後に旧道と碓氷バイパスの分岐があり、バイパスに入ってしまうとめがね橋には到達できない。必ず左の旧道に進路を取る必要がある。

軽井沢方面からのアクセスの場合、上信越自動車道「碓氷軽井沢IC」から県道92号、国道18号旧道経由で約25分。この場合も同様に、横川まで下ってきたルートで、旧道経由のアプローチが必須である。

公共交通機関でのアクセス

JR信越本線横川駅またはJR北陸新幹線軽井沢駅からJR関東バス(旧道経由)で約13分、「めがね橋」バス停下車。ただし、このバス路線は季節運行となっており、運転日が限定されているため、事前の確認が重要である。

徒歩でのアクセスも可能だ。横川駅から遊歩道「アプトの道」経由で約1時間のハイキングコースとして利用する選択肢もある。自然の中で時間をかけて建築遺産に近づいていく体験は、また別の充実感をもたらすであろう。

建築遺産としての価値と文化財指定

碓氷第三橋梁は平成5年(1993年)、国指定重要文化財に指定された。この指定は、単なる歴史的価値だけでなく、建築工学的な卓越性をも認める評価である。

日本の鉄道土木史において、このアーチ橋の完成は一つの転換点を示す。ヨーロッパから導入された技術を、日本の職人たちがいかに創意工夫を加えながら実現したかを物語る具体例として、建築遺産としての価値は極めて高い。

また、近年の世界遺産登録に向けた機運の中で、碓氷峠全体の鉄道施設群が「碓氷峠鉄道施設」として注目されている。この地域に集積する5基の煉瓦橋梁、複数のトンネル、さらには旧信越本線に関連する様々な構造物は、19世紀後半から20世紀中盤にかけての日本の産業発展を象徴する複合的な文化遺産として認識されるようになった。

自然と建築が奏でる秋の風情

筆者が訪問したのは秋の季節。碓氷峠の山々が紅葉に彩られ始めた時期であった。その時、めがね橋は新しい表情を見せた。

赤レンガのアーチが、背後の色づいた樹木と対話するかのような美しさ。古い建築物が自然と調和する様子は、日本的な美意識の本質を示しているように思える。

橋の上から眺めると、かつての蒸気機関車が行き交った碓氷峠の風景が蘇る。その風景の中で、明治の職人たちが成し遂げた大事業の偉大さを改めて実感する。

結び

碓氷第三橋梁「めがね橋」は、単なる観光地ではない。それは建築技術史の生きた教科書であり、日本の近代化を象徴する遺産であり、そして今も自然の中で静かに時間を重ねる古い建築物である。

訪問する者が何を感じるかは、その人の視点によって異なるであろう。しかし確かなことは、この橋の前に立つとき、百年以上前の職人たちの想いが、建築という形態を通じて、確かに我々に伝わってくるということである。

機会があれば、ぜひこの碓氷峠の古い橋を訪ねていただきたい。そこには、建築物が持ちうる物語の全てが集約されているのである。


碓氷第三橋梁(通称:めがね橋)

  • 所在地: 〒379-0307 群馬県安中市松井田町坂本
  • 建築年代: 明治26年(1893年)
  • 構造: 煉瓦造り4連アーチ橋
  • 規模: 高さ31メートル、長さ91メートル
  • 使用レンガ: 200万個以上
  • 設計者: パウナル(イギリス人技師)、古川晴一(日本の技師)
  • 指定: 国指定重要文化財(平成5年9月1日指定)
  • 鉄道運用期間: 明治26年~昭和38年(約70年)
  • 現状: 遊歩道「アプトの道」として通年開放(無料)
  • 営業時間: 終日開放(アプトの道トンネル内照明は7:00~18:00)
  • 駐車場: 無料(複数箇所、トイレ完備)
  • アクセス:
    • 上信越自動車道松井田妙義IC経由で約15~20分
    • JR信越本線横川駅からタクシー約15分
    • JR関東バス(季節運行)で「めがね橋」バス停下車
    • 横川駅からアプトの道経由で徒歩約1時間

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