鎌倉の象徴である鶴岡八幡宮の境内、平家池の畔に一際モダンな建築が佇んでいる。鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム、かつて神奈川県立近代美術館鎌倉館として日本の美術史に大きな足跡を残した建物である。戦後日本のモダニズム建築を代表するこの名建築は、2020年に国の重要文化財に指定され、今もなお訪れる者を魅了し続けている。
日本初の公立近代美術館の誕生
物語は戦後間もない1949年に始まる。当時の神奈川県知事・内山岩太郎のもとに、県内在住の美術家や学者から美術館設立を望む声が集まり、「神奈川県美術家懇話会」が設立された。用地検討の結果、鶴岡八幡宮の境内に建設されることが決定し、1951年11月17日、日本で初めての公立近代美術館として神奈川県立近代美術館が開館した。

設計を手がけたのは、フランスの近代建築の巨匠ル・コルビュジエに師事した坂倉準三(1901-1969)である。坂倉は岐阜県出身で、東京帝国大学文学部美術史学科を卒業後、建築家を志してフランスへ渡り、1931年から1939年まで約8年間にわたりコルビュジエのアトリエで研鑽を積んだ。帰国後は日本のモダニズム建築を牽引し、新宿の新宿駅西口広場計画や大阪万博のテーマ館など、数々の名建築を残している。
施工は馬淵建設が担当し、戦後復興期の限られた資材と技術の中で、この画期的な建築を実現させた。鉄筋コンクリート造2階建て、延床面積約1,100平方メートルの建物は、当時としては極めて先進的なものだった。
モダニズムと日本建築の見事な融合
平家池に張り出すように建つ姿は、まさに坂倉建築の真骨頂である。建物は四角い中庭を中心に、周囲を展示室やさまざまな諸室が取り囲む配置となっている。この求心的な空間構成は、日本の伝統的な寺院建築にも通じる手法だ。

特筆すべきは、モダニズムの普遍的な合理性と日本の伝統的な空間の特性が絶妙に調和している点である。ピロティ形式で浮かび上がるような建物は、池の水面を背景に軽やかに佇む。大きなガラス面は、周囲の自然を室内に取り込み、内と外の境界を曖昧にする。これは「縁側」という日本建築の知恵を、近代建築の文脈で再解釈したものといえるだろう。
エントランスへのアプローチも秀逸だ。平家池を渡る橋を通って建物に近づく動線は、参道を歩くような儀式性を感じさせる。訪れる者は日常から非日常への移行を、この空間体験を通じて自然と意識することになる。
リニューアルと重要文化財指定
開館から65年間、鎌倉館では525本もの展覧会が開催され、日本の美術文化の発展に多大な貢献をしてきた。しかし、土地の借地契約満了に伴い、2016年1月31日をもって展覧会活動は終了し、同年3月31日に閉館した。当初は更地返還の予定だったが、建築の価値や美術館存続を求める声が全国から寄せられた。
これを受け、鶴岡八幡宮は建物の保存と文化発信拠点としての活動継続を決定。改修設計を丹青研究所が担当し、2019年6月8日、「鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム」として新たな歴史の幕を開けた。

リニューアルにあたっては、バリアフリーへの配慮から外装パーツを玉砂利を使用した洗い出し仕上げに変更するなど、現代的な機能を付加しながらも、建物の本質的な価値を損なわない工夫がなされている。建築の骨格や空間構成は当初のまま保存され、坂倉建築の真髄は今も健在である。
そして2020年10月16日、文化審議会はこの建物を国の重要文化財に指定することを文部科学大臣に答申した。戦後建築としては異例の早さでの指定であり、DOCOMOMOジャパン(モダニズム建築の記録と保存を目指す国際組織の日本支部)による「日本のモダニズム建築の最初の20件」にも選定されている。日本の戦後モダニズム建築を代表する作品として、その価値は国際的にも高く評価されているのだ。
建築空間の魅力を体感する
実際に訪れてみると、写真では伝わらない空間の豊かさに驚かされる。エントランスホールの天井高は控えめだが、展示室に入ると一気に視界が開ける。この高さの変化が、空間に物語性を与えている。

中庭を囲む回廊は、展示室を巡る動線でありながら、同時に休憩や思索のための場所でもある。ガラス越しに見える中庭の緑は、鑑賞の合間に心を落ち着かせてくれる。展示室の窓からは平家池や周囲の自然が望め、展示作品と自然が呼応する。これこそが坂倉が意図した「環境との対話」である。
細部にも注目したい。手すりの納まり、窓枠のプロポーション、照明の配置。すべてに建築家の意図が込められており、機能と美が高度に統合されている。昭和の職人技術が結集した仕上げの質の高さも見逃せない。
文化発信拠点としての新たな役割
鎌倉文華館では、常設展示は基本的になく、企画展や特別展を通じて鎌倉の歴史・文化・芸術を発信している。鶴岡八幡宮に伝わる貴重な宝物や、鎌倉ゆかりの作家の作品など、多彩な展示が行われている。

建築そのものが展示物ともいえるこの施設では、展示鑑賞と建築鑑賞の双方を楽しむことができる。モダニズム建築の巨匠が設計した空間で、鎌倉の文化に触れる。この贅沢な体験は、鎌倉文華館でしか味わえないものだ。
また、館内にはミュージアムショップやカフェも併設されており、ゆったりとした時間を過ごすことができる。鶴岡八幡宮参拝と合わせて訪れれば、一日を通して鎌倉の歴史と文化、そして建築の魅力を堪能できるだろう。
建築巡礼の新しい聖地
日本初の公立近代美術館として誕生し、重要文化財として保存されることになった鎌倉文華館。坂倉準三が目指したのは、単なる展示空間ではなく、芸術と自然、伝統と近代が融合する「文化の場」だった。その理念は、時代を超えて今も息づいている。
池に映る建物の姿は、時間や季節によって表情を変える。桜の季節には池に花びらが浮かび、新緑の頃には緑が映り込む。建築は周囲の環境と一体となり、鎌倉という土地の記憶と共に存在し続けている。

建築を学ぶ者にとって、この建物は教科書に載る名作を実際に体験できる貴重な機会である。モダニズム建築の理論が、日本の風土の中でどのように具現化されたかを、五感で感じ取ることができる。坂倉準三という建築家の思想と技術が、70年以上の時を経てなお鮮やかに伝わってくる。
鎌倉を訪れる際は、ぜひ鎌倉文華館に足を運んでいただきたい。鶴岡八幡宮の参道を歩き、平家池を渡って建物に近づく。その体験自体が、坂倉準三が設計した「建築の物語」の一部なのだから。重要文化財に指定された戦後モダニズム建築の傑作を、ぜひその目で、その身体で、確かめてほしい。
鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム
- 所在地: 神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-53(鶴岡八幡宮境内)
- 竣工年: 1951年(昭和26年)
- 改修年: 2019年(令和元年)
- 設計: 坂倉準三建築研究所(坂倉準三)
- 施工: 馬淵建設
- 改修設計: 丹青研究所
- 構造: 鉄筋コンクリート造2階建て
- 指定: 国指定重要文化財(2020年)
- 開館時間: 10:00-16:30(入館は16:00まで)
- 休館日: 月曜日(祝日の場合は翌平日)、展示替期間、年末年始
- アクセス: JR横須賀線・江ノ島電鉄「鎌倉駅」東口から徒歩約10分
- 〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1−53


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