禅の聖地から世界遺産へ 〜永平寺と白川郷合掌造りを巡る建築の旅〜

岐阜

初秋の福井から岐阜へ。今回は曹洞宗の大本山・永平寺と、世界遺産の白川郷合掌造り集落を訪ねました。禅宗建築の粋と日本の伝統民家、二つの異なる建築様式を一日で巡る旅。歴史を重ねた木造建築が見せる、日本建築の奥深さに触れる旅となりました。

永平寺 ── 道元禅師が築いた禅の伽藍

福井市内から車で約30分、緑深い山間に佇む永平寺。寛元2年(1244年)、道元禅師によって開創された曹洞宗の大本山です。当初は大仏寺と称されましたが、2年後に永平寺と改められました。三世義介禅師の時代に七堂伽藍が整えられ、現在の永平寺の基盤が築かれています。

山門をくぐると、中雀門から仏殿、法堂へと続く七堂伽藍が山の傾斜に沿って配置されています。禅の修行道場として機能する建物の配置は、宋代の中国禅林の様式を踏襲しており、義介禅師が宋で書写してきた「五山十刹図」を参考に整備されたものです。

明治12年の火災を経て明治14年(1881年)に再建された承陽殿は、道元禅師のご尊像とご霊骨を祀る最も神聖な場所です。内部は撮影禁止ですが、建築的にも非常に凝った造りで、柱頭に施された木鼻の彫刻は必見です。禅師から数えて五代目までの歴代住職の木像も祀られており、雲水たちは今も禅師が生きているかのようにお仕えしているといいます。

地下1階地上4階という一際大きな建物が大庫院です。昭和5年(1930年)の建築で、主に台所の役割を持つほか、物品の保管庫や会計・保全の事務所としても機能しています。特筆すべきは、建築当時のエレベーターが現存し、今も稼働していること。これは日本屈指の古さを誇る現役エレベーターとして知られています。近代木造建築の技術と伝統的な禅宗建築が融合した、昭和初期の意欲作といえるでしょう。

大庫院と同じ昭和5年に、二祖国師・孤雲懐奘650回忌を記念して建築されたのが傘松閣です。永平寺最初の山号「傘松峰」に由来する名を持つこの建物には、222畳敷きの大広間があります。天井一面を彩るのは、小室翠雲の尽力により集められた荒木十畝、伊東深水、鴨下晁湖、川合玉堂ら当代一流の画家たちによる天井画。禅寺の荘厳さと日本画の美が見事に調和した空間です。

僧堂は明治35年(1902年)の建築で、雲水たちが坐禅修行を行う場所。静寂の中、今も修行僧たちが日々の修行に励んでいます。こうした建築群を歩くことで、770年以上にわたって受け継がれてきた禅の精神と、それを支える建築の力を実感することができました。

白川郷 ── 合掌造りの技術と暮らし

永平寺を後にし、車で約1時間半、岐阜県の白川郷へ。標高500メートルの山間に広がる荻町集落は、世界遺産に登録された合掌造り集落として知られています。急勾配の茅葺き屋根が掌を合わせたように見えることから「合掌造り」と呼ばれるこの建築様式は、豪雪地帯ならではの知恵が詰まっています。

集落を散策すると、その景観の美しさに息を呑みます。田園風景の中に点在する合掌造りの家々。秋の柔らかな日差しが茅葺き屋根を照らし、まるで時が止まったかのような光景です。

神田家 ── 江戸後期の完成された合掌造り

今回特に注目したのが神田家です。白川郷で名主や関守を歴任した和田家から文政年間(1818〜1829年)に分家した家柄で、ここで酒造業を興しました。建物は1850年頃の建築と推定され、石川県の宮大工によって10年もの歳月をかけて建てられたといわれています。

4階建ての建物内部に入ると、まず目を引くのが太さ60センチメートルもの松の木の梁。合掌木と呼ばれる屋根を支える構造材の組み方は、大工の高度な技術を示しています。間取りの発達や小屋組みの複雑さから、合掌造り家屋の中でも非常に高い完成度を誇るとされています。

中2階の存在も神田家の特徴です。大家族に対応するため、使用人や独身兄弟がこの空間で寝起きをしていました。興味深いのは、中2階に設けられた小窓です。これは1階の囲炉裏の火を監視するためのもので、火災を防ぐ工夫が随所に見られます。こうした配慮により、神田家の囲炉裏は今も現役で、火が絶やされることがありません。

見学中、囲炉裏で沸かしたお湯で入れた野草茶をいただきました。炎のゆらぎと茅葺き屋根から差し込む光、そして茶の香り。江戸時代の人々と同じ空間で、同じように囲炉裏を囲む体験は、建築と暮らしが一体であったことを改めて感じさせてくれました。

床下には焔硝(火薬の原料)を製造していた痕跡も残されています。養蚕の糞や草、人の尿を混合させて熟成させる作業が、この空間で行われていました。白川郷では江戸幕府への上納品として焔硝生産が奨励され、これが合掌造りの大型化と大家族制を生み出す要因となったのです。養蚕と焔硝生産という生業が、建築形式を決定づけた好例といえるでしょう。

二つの建築が示すもの

永平寺と白川郷。一つは禅宗建築、もう一つは民家建築。その性格は全く異なりますが、どちらも木造建築の技術の高さと、使い手の暮らしや信仰に寄り添った設計思想が貫かれています。

永平寺の伽藍配置は修行の動線を考え抜いた機能美であり、神田家の間取りは40人を超える大家族の生活と生業を支える実用性の極致です。時代を超えて受け継がれてきた建築技術と、それを支えた職人たちの技。現代の私たちが学ぶべきものは、まだまだ多くあると感じました。

北陸から飛騨への道のりは決して近くありませんが、一日で巡ることで、日本建築の多様性と深さを実感できる贅沢なルートです。永平寺では禅の精神を、白川郷では山間の暮らしの知恵を。それぞれの建築が語る物語に耳を傾けながら、歴史の重みを感じる旅となりました。

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