しまなみ海道の建築遺産を訪ねて 〜隈研吾設計の展望台から重要文化財の神社建築まで〜

愛媛

青い空と瀬戸内海が織りなす多島美を眺めながら、今日はしまなみ海道を走り、建築と歴史が交錯する特別な場所を訪ねる旅に出かけました。愛媛県今治市を起点に、現代建築の傑作から室町時代の神社建築まで、時代を超えた建造物たちに出会う一日です。

隈研吾が描いた「見えない建築」〜亀老山展望公園〜

しまなみ海道の大島南端に位置する亀老山展望公園。標高307.8mの山頂に立つこの展望台は、日本を代表する建築家・隈研吾氏の設計によるものです。1994年に完成したこの作品は、隈氏の建築哲学である「自然との共生」を体現した初期の代表作として知られています。

展望台へと続く道を登っていくと、まず驚かされるのはその佇まいです。通常、展望施設といえば山頂に屹立する構造物をイメージしますが、亀老山展望公園は全く異なるアプローチを採用しています。建物の大部分は地中に埋められ、山の形状を復元する形で設計されているのです。

「Anti-disposition of objects in nature(自然における物体の反配置)」というコンセプトのもと、隈氏は展望台を単なる「スリット(細い切れ込み)」として山肌に刻み込みました。訪れる者は、まるで山自体が視線を導くかのように、その切れ込みを通じて瀬戸内海の絶景と対峙することになります。

展望台に到着すると、眼下には世界初の三連吊橋である来島海峡大橋が優美な姿を見せています。日本三大急潮の一つ、来島海峡の激しい潮流。晴れた日には、西日本最高峰の石鎚山まで望むことができます。TripAdvisorの「旅好きが選ぶ!日本の展望スポット2017」で全国第2位に輝いたのも頷ける、しまなみ海道随一のビューポイントです。

隈氏の設計思想が光るのは、コンクリートと鉄を用いながらも、それらを極力抑制的に使用している点です。パノラマ展望台ブリッジは必要最小限の構造で支えられ、主役はあくまで自然景観。建築が自然に溶け込み、景色を引き立てる。この謙虚さこそが、後の隈建築の原点となっているのです。

武神が守る海の社〜大山祇神社〜

しまなみ海道の中央に位置する大三島。その島の中心に鎮座するのが、全国一万社余りの山祇神社・三島神社の総本社である大山祇神社です。境内に一歩足を踏み入れると、現代の喧騒から切り離された神聖な空間が広がります。

参道を進むと、まず目に飛び込んでくるのは樹齢約2600年と推定される巨大な楠の御神木。社伝によれば、大山積大神の子孫・小千命(おちのみこと)が神代に祖神を鎮祭した記念に手植えしたとされ、「小千命御手植の楠」と呼ばれています。この楠群は日本最古の原始林社叢として、国の天然記念物に指定されており、時の流れの重みを静かに伝えています。

建築的な見どころは、重要文化財に指定されている本殿と拝殿です。本殿は1427年(応永34年)に建立された三間社流造で、切妻屋根の片方を大きく延ばした優美な屋根を持つ室町時代の建築様式を今に伝えています。流造は神社建築の代表的な様式の一つで、正面の庇が前方に長く流れるように伸びているのが特徴です。約600年の歳月を経てなお、その姿を保ち続ける本殿は、当時の宮大工たちの卓越した技術を物語っています。

17世紀初頭、江戸時代初期に建立された拝殿も重要文化財です。本殿と拝殿が一体となって、伊予国一宮としての威厳と格式を表現しています。2010年には、688年ぶりに総門が再建されました。総ヒノキ造りで高さ12mを誇るこの門は、伝統的な木造建築技術を用いながら、現代の職人たちの手によって蘇りました。

大山祇神社が「武神の社」として知られるようになったのは、源氏・平氏をはじめとする多くの武将が武運長久を祈り、武具を奉納してきたからです。境内の宝物館には、国宝8点、重要文化財76点を含む膨大な数の甲冑や刀剣が収蔵されており、驚くべきことに、全国の国宝・重要文化財に指定された武具類の約4割がこの神社に集まっています。源頼朝、源義経の鎧や、日本最古の大鎧など、歴史の教科書で見た武将たちの実際の武具を目の当たりにすると、歴史が一気に身近なものとして迫ってきます。

霊峰を仰ぐ信仰の拠点〜石鎚神社〜

西条市に位置する石鎚神社は、西日本最高峰の石鎚山(標高1982m)を御神体とする山岳信仰の中心です。石鎚神社は、山麓の本社(口之宮)、山腹の成就社(中宮)と土小屋遙拝殿、そして山頂の頂上社の4社の総称として、「石鎚山総本宮」と称されています。

今回訪れたのは、国道11号線沿いに立つ大きな朱の鳥居が目印の本社。参道を進み階段を上ると、石鎚神社会館の脇に本社の社殿が姿を現します。ここから石鎚山の雄大な姿を仰ぎ見ることができ、西条の町と瀬戸内海を見渡す絶景ポイントとしても知られています。

石鎚信仰の歴史は古く、飛鳥時代の役小角による開山に始まり、桓武天皇、文徳天皇といった歴代天皇、源頼朝、河野家一族、豊臣家一族など、多くの権力者たちの厚い信仰を集めてきました。特筆すべきは、慶長15年(1610年)に豊臣秀頼によって中之宮・成就社が造営されたことです。残念ながら明治22年の火災で焼失し、現在の成就社は昭和57年に再建されたものですが、その歴史的重要性は変わりません。

石鎚神社の建築的特徴は、神仏習合の名残を色濃く残している点です。明治維新の神仏分離令により、横峰寺と前神寺という別当寺が廃止され、石鎚神社と定められましたが、長い歴史の中で育まれた神仏混淆の雰囲気は今なお境内に漂っています。弘法大師もこの山で修行したと伝えられ、霊峰としての信仰と仏教文化が複雑に絡み合った独特の空間を形成しています。

本社から山頂まで続く旧登山道の入口も境内にあり、古来より修験者たちが歩いた道が今も残されています。石鎚山は修験道の霊場として、また山岳信仰の聖地として、日本の宗教建築・文化を考える上で欠かせない存在なのです。

時代を超えた建築の魅力

今回の旅で印象的だったのは、1990年代の現代建築から、室町時代・江戸時代の歴史的建造物まで、それぞれの時代の建築思想と技術が、同じ瀬戸内の風土の中で息づいていることでした。

隈研吾氏の亀老山展望公園が「自然に溶け込む建築」を追求したように、大山祇神社や石鎚神社もまた、それぞれの時代において自然と調和しながら、信仰の場としての役割を果たしてきました。建築の本質とは、単に構造物を作ることではなく、その土地の歴史、文化、自然と対話しながら空間を創り出すことなのだと、改めて実感させられます。

しまなみ海道は、美しい海の風景だけでなく、こうした多様な建築遺産が点在する建築の宝庫です。次にこの道を訪れる際には、ぜひ建築的な視点も加えて、時代を超えた造形美を堪能してみてはいかがでしょうか。

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