秋晴れの山梨へ、富士山の麓に点在する建築と自然の造形美を求めて足を運びました。今回訪れたのは、世界文化遺産の構成資産である忍野八海、世界中から観光客が訪れる新倉山浅間神社と忠霊塔、そして富士山の噴火が生み出した天然記念物・富岳風穴です。
忍野八海 〜富士信仰が育んだ水景建築〜
最初に訪れたのは、2013年に世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉-」の構成資産として登録された忍野八海です。国の天然記念物であり、名水百選にも選定されているこの湧水群は、延暦19年(800年)の富士山大噴火に端を発する壮大な地形変動の遺産です。

かつてこの一帯は「宇津湖」と呼ばれる巨大な湖でした。富士山の噴火による溶岩流によって湖は二分され、忍野湖と山中湖が誕生しました。その後、忍野湖は徐々に干上がり、湖底に八つの湧水池だけが残されました。これが忍野八海の起源です。富士山に降った雨雪が20年以上の歳月をかけて地下の不透水層でろ過され、透明度の高い伏流水として湧き出しています。
江戸時代、富士山信仰の開祖・長谷川角行が行った富士八海修行になぞらえ、「富士山根元八湖」として富士講の霊場に定められました。天保14年(1843年)には富士講信者によって再興され、出口池、お釜池、底抜池、銚子池、湧池、濁池、鏡池、菖蒲池の八つの池それぞれに八大竜王が祀られ、富士道者たちが禊を行う聖地となりました。

周辺には茅葺き屋根の民家が点在し、日本の原風景を今に伝えています。特に湧池のほとりに建つ木造の水車小屋は、湧水を利用して蕎麦を挽く伝統的な構造を持ち、機械を使わない木造のシンプルな仕組みで今も稼働しています。富士山を背景に、清冽な湧水と伝統建築が織りなす景観は、水と信仰と生活が一体となった日本の水景建築の傑作といえます。
新倉富士浅間神社 〜1300年の歴史を刻む聖域〜
最初に訪れた新倉富士浅間神社は、慶雲3年(705年)に創建された由緒ある神社です。平城天皇の御世、大同2年(807年)の富士山大噴火の際には勅使が参向し、国土安泰富士山鎮火祭が執行されました。この時、天皇より「三國第一山」の称号が授けられ、親筆による大鳥居勅額が奉納されています。

本殿は一間社入母屋造り向拝唐破風付きという格式高い様式で建てられています。戦国時代には武田信虎が新倉山に陣を構え、戦勝祈願をした場所としても知られ、境内全体が富士北口郷の歴史を今に伝える貴重な空間となっています。
忠霊塔 〜昭和が遺した五重塔の傑作〜
新倉山の中腹、398段の石段を登った先に現れる朱塗りの五重塔は、正式には富士吉田市戦没者忠霊塔といいます。この塔は昭和34年(1959年)から3年の歳月をかけて建立され、昭和37年(1962年)に完成しました。

大阪・四天王寺の五重塔を参考に設計されたこの塔は、高さ19.5メートル。1015柱の戦没者を祀る慰霊塔でありながら、富士箱根伊豆国立公園の景観保護の観点から仏塔様式の五重塔として建てられた、極めて特殊な建築物です。神社の境内にありながら仏教建築の形式を採用した背景には、神仏習合の歴史と近代日本の複雑な宗教観が反映されています。
富士山と桜、そして五重塔が一つのフレームに収まる景観は、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンの表紙にも採用され、SNSで世界中に拡散されました。現在では「CHUREITO PAGODA」の名で知られ、環境省の「富士山がある風景100選」にも選定されています。
富岳風穴 〜地球が創り出した天然の建築〜
最後に訪れた富岳風穴は、貞観6年(864年)の富士山大噴火によって形成された溶岩洞窟です。昭和4年(1929年)に国の天然記念物に指定されたこの風穴は、総延長201メートル、高さ8.7メートルの横穴型洞窟で、青木ヶ原樹海の中に位置しています。

洞窟内の平均気温は3度。壁を構成する玄武岩質が音を吸収する性質を持つため、内部では不思議と音が反響しません。昭和初期まで蚕の卵の貯蔵に使われていた天然の冷蔵庫としての実用的な側面も持ち合わせています。

人間が設計した建築物とは異なり、富岳風穴は火山活動という自然現象が生み出した「地球の建築」といえます。溶岩流の上部が先に冷えて固まり、下部の溶岩が流れ続けることで形成されたY字型の空洞は、夏でも溶けない氷柱、溶岩棚、縄状溶岩など、人工では決して再現できない造形美に満ちています。
建築と自然が織りなす富士山麓の景観
富士信仰の水景建築である忍野八海、1300年の歴史を持つ新倉山浅間神社、戦没者を悼む昭和の五重塔、そして1200年前の噴火が残した溶岩洞窟。これら四つのスポットは、人間の営みと自然の力が時代を超えて交差する、富士山麓ならではの景観を形成しています。建築に興味のある方はもちろん、歴史や地質学に関心のある方にもぜひ訪れていただきたい場所です。


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