愛媛建築紀行 〜道後温泉から下灘駅まで、明治・大正の名建築を辿る旅〜

愛媛

瀬戸内の温暖な陽光に包まれた愛媛県。今回は松山を拠点に、明治から昭和にかけて築かれた歴史的建造物を巡る旅に出ました。文化財として保護される近代建築から、地域に根差した信仰の場、そして”青春18きっぷ”のポスターで知られる海沿いの無人駅まで。建築を通して見えてくる、愛媛の歴史と風土の物語をお届けします。

道後温泉本館 〜坂本又八郎が手がけた木造三層楼の傑作〜

旅の始まりは、日本最古の温泉として知られる道後温泉から。その象徴である道後温泉本館は、1894年(明治27年)に完成した木造三層楼の近代和風建築です。今回は入浴こそしませんでしたが、その重厚な建築美を外観からじっくりと観察してきました。

初代道後町長・伊佐庭如矢の発案により建設が決まったこの建物。第一期工事の設計を手がけたのは、地元の大工棟梁であった坂本又八郎でした。総工費13万5,000円(現在の価値で約5億1,300万円)、約20カ月の工期をかけて完成した本館は、その後も増改築を重ね、現在の複雑な構成へと発展していきます。

北側の神の湯本館棟、東側の又新殿・霊の湯棟、南棟、西側の玄関棟が相互に接続し、一つの大きな建築群を形成している様子は圧巻です。特に目を引くのは、三層楼の屋根に載る赤い振鷺閣(しんろかく)。太鼓が置かれたこの楼閣は、道後温泉のシンボルとして時を刻み続けています。

1994年、築100年を記念して公衆浴場としては初めて国の重要文化財に指定されました。近代化産業遺産にも認定され、ミシュランガイドでは二つ星を獲得。夏目漱石が『坊っちゃん』で描いた情景は、今もこの建物の中に息づいています。

なお、本館は保存修理工事を経て2024年12月に完全公開を再開。次世代へと受け継がれる、日本建築の貴重な遺産です。

圓満寺 〜812年創建、湯の大地蔵が見守る浄土宗寺院〜

道後温泉本館から徒歩わずか2〜3分。路地を少し入ったところに、圓満寺はひっそりと佇んでいます。弘仁3年(812年)の創建と伝わるこの寺院は、阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の古刹です。

圓満寺の建築そのものはこぢんまりとしていますが、本堂手前の地蔵堂に安置された一丈二尺(約3.67メートル)の白塗り地蔵尊は圧倒的な存在感を放っています。奈良時代の高僧・行基の作と伝えられるこの地蔵尊には、道後温泉と深く結びついた歴史があります。

安政2年(1855年)、大地震により道後温泉の湯が止まるという一大事が起こりました。その際、地元の人々がこの地蔵尊に祈願したところ、再び湯が湧き出したという伝承から「湯の大地蔵尊」と呼ばれ、今も地域の信仰を集めています。

近年では、境内を彩るカラフルな「お結び玉」が話題となり、恋愛成就のパワースポットとして若い世代にも親しまれています。古い信仰と現代の願いが交差する、温泉街ならではの寺院空間です。

萬翠荘 〜久松定謨伯爵の旧邸宅、純フランス風建築の華麗な館〜

松山市の高台に建つ萬翠荘(ばんすいそう)は、大正11年(1922年)に完成した旧松山藩主の子孫・久松定謨伯爵の別邸です。設計は木子七郎が担当し、純フランス風の様式で建てられたこの洋館は、当時の上流階級の生活様式を今に伝える貴重な建築物として知られています。

外観は淡い色調の外壁に縦長の窓を配し、優雅なマンサード屋根が特徴的。内部の階段ホールやサロンには、華やかな装飾が施されており、大正ロマンの薫り高い空間が広がります。昭和60年(1985年)には愛媛県指定有形文化財に指定され、現在は文化施設として一般公開されています。

この建物は皇族方の宿泊所としても使用され、格調高い社交の場として機能しました。松山城を望む立地も相まって、松山の近代史を語る上で欠かせない建築遺産となっています。

下灘駅 〜1935年開業、伊予灘を臨む”日本一海に近かった駅”〜

旅の終わりは、伊予市双海町にある下灘駅へ。JR予讃線の小さな無人駅ですが、その名は全国に轟いています。青春18きっぷのポスターに3度も採用され、「一度は降りてみたい駅」として多くの人々を魅了してきました。

下灘駅が開業したのは昭和10年(1935年)。松山〜八幡浜間の建設線(八幡浜線)の一駅として、1927年(昭和2年)6月に着手された工事は、1939年(昭和14年)2月に竣工しました。

駅舎というよりはホームと簡素な上屋があるだけの素朴な佇まい。しかしそこから望む景色は、誰もが息を呑む絶景です。かつては「日本一海に近い駅」として知られ、荒天時には波がホームまで押し寄せることもあったといいます。現在は国道378号の開通により海岸が埋め立てられましたが、それでも伊予灘の青い海と空が一体となって広がる光景は変わりません。

建築物としては極めてシンプルですが、風景と一体化した「場所の建築」として、これ以上ない完成度を誇ります。日中の紺青、夕暮れの茜色、刻々と表情を変える海の色。人工物と自然が織りなす、時間芸術とも言えるでしょう。

映画やドラマのロケ地としても数多く使用され、地元の方々が育てる季節の花々がホームを彩ります。建築が風景をつくり、風景が建築に意味を与える。下灘駅はそんな関係性の美しさを教えてくれる場所です。

旅を終えて

明治の木造建築、大正の洋館、昭和の鉄道駅。時代も様式も異なる建築物を巡った今回の愛媛旅行。それぞれが地域の歴史と人々の営みを物語っていました。

道後温泉本館は文化財として厳格に保護されながら、今も「現役の公衆浴場」として使われ続けています。圓満寺の地蔵堂は信仰の場として、萬翠荘は文化施設として、下灘駅は交通インフラとして。どの建築も、単なる過去の遺物ではなく、現代に生きる建築なのです。

愛媛の建築旅行は、建物を見るだけでなく、その背後にある人々の想いや時代の息吹を感じる旅でもありました。瀬戸内の穏やかな気候の中、歴史を刻んだ建築物たちは、これからも静かに、しかし確かに時を重ねていくことでしょう。

次回はぜひ、道後温泉の湯に浸かりながら、坂本又八郎が設計した空間を内側から体感してみたいと思います。

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