大阪の夏空の下、昼過ぎに住吉の地に降り立ちました。建築史に名を刻む二つの名作を巡る旅の始まりです。一つは古代から続く神社建築の粋「住吉大社」、そしてもう一つは現代建築の金字塔「住吉の長屋」。まずは腹ごしらえから。
Mカッセでの小休憩 〜建築巡りの前に〜
まずは腹ごしらえ。住吉の地で評判のカレー店「Mカッセ」で週替わりとチキンカレーのあいがけカレーをいただきました。週替わりカレーは海老のうまみが口いっぱいに広がり、深いコクのある仕上がり。一方、チキンカレーはピリッとした辛さが印象的で、二つの味わいの対比が絶妙でした。これから始まる建築の旅への良いプロローグとなりました。

住吉大社 〜神明造を凌ぐ古代建築の精髄〜
食事を終え、まず向かったのは住吉大社。この神社は、ただの観光地ではなく、日本建築史において極めて重要な位置を占める建造物です。

住吉造の誕生と歴史的背景
住吉大社の本殿は「住吉造」と呼ばれる独特の建築様式で建てられています。この住吉造は、伊勢神宮の神明造、出雲大社の大社造と共に、神社建築の最古の様式とされ、その起源は実に古く、神功皇后摂政11年(西暦211年)の創建と伝えられています。
現在の社殿は文化7年(1810年)に建て替えられたものですが、その建築様式は古代の姿を忠実に継承しています。住吉大神と神功皇后を祀る四本宮は、第一・第二・第三本宮が縦直列、第三・第四本宮が横並列という独特の配列はあたかも大海原をゆく船団のように本宮がならび、海神信仰の神社らしい配置となっています。

住吉造の建築的特徴
住吉造の建築的特徴を詳しく見てみましょう。間口は2間、奥行は4間(内陣・外陣各2間)の長方形であり、切妻造・妻入であり、破風や垂木には反りがなく、直線的な外観となるのが基本形です。
特筆すべきは、伊勢神宮(神明造り)にはある、回り縁(縁側のような部分)や高欄も住吉大社(住吉造り)にはありませんという点です。これは単なる省略ではなく、住吉造独自の美学を表現した重要な特徴です。また、アプローチは妻入り(伊勢神宮は平入り)となっており、参拝者を正面から迎え入れる格式を持っています。

国宝建築としての価値
現在の本殿群は国宝に指定されており、その価値は建築史上極めて高いものです。破風は古式の直線形であり、大嘗祭の際に造られる建物と似ていることが指摘されていることからも、その古式ゆかしさが理解できます。
実際に間近で見ると、直線的で力強い屋根のラインと、装飾を極限まで削ぎ落とした簡潔な外観に、古代日本人の美意識の高さを感じずにはいられません。現代のミニマルデザインにも通じる普遍的な美しさがそこにはありました。

住吉の長屋 〜安藤忠雄の原点にして頂点〜
住吉大社を後にし、徒歩圏内にある「住吉の長屋」へ向かいました。この建物は、私にとって特別な意味を持つ作品です。大学時代、最初の設計課題でこの建築の模型を制作したのが建築への本格的な興味の始まりでした。長年の憧れを胸に、ついにその実物と対面する時が来たのです。

安藤忠雄の建築家としての出発点
1976年(昭和51年)2月竣工、大阪市住吉区の三軒長屋の真ん中の1軒を切り取り、中央の三分の一を中庭とした鉄筋コンクリート造りの小住宅である住吉の長屋は、安藤忠雄の建築家人生における記念すべき作品です。独学で建築を学んだ安藤忠雄にとって、この作品は実質的なデビュー作であり、後の国際的な活躍への出発点となりました。
革新的な空間構成
この住宅の最も革新的な点は、その空間構成にあります。敷地は間口2間、奥行8間という狭さで、三軒長屋の真中を切り取って建て替えるという厳しい条件のもとで計画された中で、建築の1/3を中庭とする大胆な構成をとりたのです。
2階寝室からトイレに行くために手摺の無い階段を雨の日には傘をさして下りなければならないという、一見不便とも思える構成は、都市住宅における新たな可能性を提示した革命的なアイデアでした。

施工の現実と時代の制約
実際に建物を見学して最も印象的だったのは、打ち放しコンクリートの仕上がりでした。安藤忠雄の代名詞とも言える美しい打ち放しコンクリートを期待していましたが、現実は少し異なっていました。表面には「あばた」と呼ばれる気泡跡が数多く見られ、理想的な打ち放し仕上げとは言い難い状態でした。
これは1970年代の施工技術の限界を物語るものでもあります。現在のような高度な型枠技術や締固め技術がなかった時代、完璧な打ち放し仕上げを実現することは極めて困難でした。むしろ、総工費予算は解体費を含め1000万円という限られた予算の中で、これだけの空間的実験を成し遂げたことの方が驚異的です。
時を経た変化
現在の住吉の長屋は、当初の打ち放しコンクリートから、補修のためかコンクリートに近い色合いの塗装が施されているようでした。これは保存上必要な措置かもしれませんが、オリジナルの意図からは少し離れた状態になっています。しかし、空間の本質的な魅力は損なわれておらず、中庭を中心とした光と風の設計思想は今なお健在でした。
建築界への影響
狭小住宅でありながら、建築の1/3を中庭とする大胆な構成をとり、当時建築界に多くの議論を巻き起こし、多大な影響を与えたこの作品は、1979年に日本建築学会賞を受賞し、安藤忠雄の名を建築界に知らしめました。
限られた敷地と予算のなか、建蔽率などの諸条件をクリアしながら通風・採光を確保し、豊かな空間をつくり上げるために無難な便利さを犠牲にした設計思想は、その後の都市住宅設計に大きな影響を与え続けています。
二つの建築に見る時代を超えた普遍性
住吉大社と住吉の長屋、この二つの建築は1400年以上の時を隔てて建てられたものですが、奇しくも同じ住吉の地に立ち、ある共通点を持っています。それは、限られた制約の中で最大限の空間的豊かさを追求した姿勢です。
住吉大社の住吉造は、古代の技術と美意識の制約の中で、神聖な空間を創出しました。一方、住吉の長屋は、現代都市の過密な環境と限られた予算という制約の中で、新しい住まいの可能性を提示しました。
両者に共通するのは、装飾に頼らない簡潔な美しさと、空間の本質を見つめた設計思想です。住吉大社の直線的な屋根と柱の構成、住吉の長屋のコンクリートの箱と中庭の対比、どちらも余分なものを削ぎ落とした純粋な建築言語で語られています。

おわりに
今回の住吉建築巡りは、建築の本質について深く考える機会となりました。技術の進歩により建築の可能性は広がりましたが、空間の豊かさや美しさの根源は、時代を超えて変わらないのかもしれません。
住吉大社の荘厳さと住吉の長屋の実験性、この二つの対照的な建築を一日で体験できたことは、建築を学ぶ者にとって貴重な経験でした。特に学生時代に模型で親しんだ住吉の長屋の実物を見ることができたのは、長年の願いが叶った瞬間でもありました。
建築は時代と共に変化しますが、人々の暮らしを豊かにしたいという建築家の想いは、古代から現代まで変わることなく受け継がれています。住吉の地で出会ったこの二つの建築は、そのことを私たちに静かに語りかけているのです。
コメント