長崎県の海を望む丘に佇む二つの天主堂。田平天主堂と大浦天主堂——これらは、日本におけるキリスト教建築の歴史を語る上で欠かすことのできない建造物である。一つは”教会堂建築の父”と呼ばれる鉄川与助の最後の煉瓦造作品として、もう一つは日本最古の現存教会建築として、それぞれが異なる時代背景と技術を持ちながら、長崎の信仰の歴史を今に伝えている。
鉄川与助最後の煉瓦造傑作——田平天主堂
平戸市田平町の高台に立つ田平天主堂は、平戸瀬戸を見下ろす絶景の地に建てられている。この煉瓦造の教会堂は、長崎を中心に九州北部で数々の教会建築を手がけた鉄川与助(1879-1976年)の、煉瓦造教会堂としては最後の作品である。
鉄川与助という建築家
鉄川与助は現在の上五島町(旧新魚目町)に大工棟梁の家に生まれた。家業を手伝う中でフランス人のペルー神父と出会い、教会堂建築の道へと進んだ。彼はド・ロ神父ら外国人宣教師から西洋建築を学び、日本の伝統的な工法と融合させることで、風土に適した独自の教会建築を生み出していった。生涯仏教徒でありながら、その卓越した技術と探究心によって、戦前だけでも30以上の教会堂を設計・施工した。
田平天主堂は大正4年(1915年)12月に着工し、大正6年(1917年)10月に竣工。翌年の大正7年(1918年)5月14日に献堂式が行われた。鉄川与助はこの後、煉瓦から鉄筋コンクリートへと建築技術を移行させていくため、田平天主堂は彼の煉瓦造教会建築の集大成といえる作品となった。
多彩な煉瓦積み技法が魅せる外観美
田平天主堂の最大の特徴は、その華やかな煉瓦積み手法にある。構造は煉瓦造および木造で、正面中央には八角形のドームを頂く鐘塔を備えた重層屋根構成となっている。


外壁の煉瓦積みには小口積の列を交えた「変形イギリス積」が採用されており、教会堂の正面・側面・背面でそれぞれ煉瓦の積み方を変えるという技巧が凝らされている。基礎や軒下の飾りにも小口積を取り入れ、さらにギザギザ状のロンバルド帯やのこぎり歯状の飾りも使われている。小口積の部分には色の濃い小豆色の煉瓦を使用し、色彩の面でもアクセントをつけるという徹底ぶりだ。
この煉瓦の目詰めに使用されたアマカワ(石灰と赤土を混ぜたもの)を作るため、信者たちは各家庭で食べた貝殻や平戸、生月島から集めた貝殻を敷地内の貝殻焼き場で焼いた。田平天主堂は、まさに信者たちの協力で作り上げられた手作りの天主堂なのである。
本格的な西洋建築様式の内部空間
内部は3廊式で、身廊部の立体構成はアーケード、トリフォリウム、クリアストリーを備えた本格的な構成である。天井は身廊部・側廊部ともに木製の4分割リブ・ヴォールト天井(こうもり天井)で仕上げられている。主祭壇背面までトリフォリウムの連続アーチを延ばすことで、祭壇とのデザイン的な一体化を試みている点も見逃せない。
内壁は木質にペンキ塗りで仕上げられ、連続するアーチの高窓、椿の花の浮き彫りなどが美しい空間を形作る。天主堂内には26の椿と思われる花の装飾があるが、これは田平天主堂が日本二十六聖人に捧げられた教会堂であることに由来する。
上部のステンドグラスは1989年に設置されたオリジナル作品で、聖書からそれぞれの題材を得て制作された。下部のステンドグラスは1998年に完成したイタリア・ミラノ市のアレッサンドロ・グラッシュ社制作の作品で、全てのテーマが『新約聖書』から採られている。
歴史的環境が保存された敷地
田平天主堂の周囲には畑地が広がり、北側にはキリシタン墓地がある。司祭館をはじめ、門柱、石段、石垣などが当初の状態で残り、周囲の歴史的環境がよく保存されている。敷地内には、初めて聖母マリアが出現したといわれる「ルルドの泉」もあり、聖母マリア像が安置されている。

太平洋戦争時には米軍の機銃掃射を受けるなど数々の受難があったが、信者たちはこれを守り抜き、2003年に国の重要文化財に指定された。当初は世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として候補に選ばれていたが、禁教期との関係性がないことから最終的には除外された。しかし、その建築的価値は決して色褪せることはない。
日本最古の現存教会建築——大浦天主堂
長崎湾を望む高台に建つ大浦天主堂は、現存する日本最古のカトリック教会建築である。正式名称は「日本二十六聖殉教者天主堂」といい、1597年に長崎で殉教した26人のキリシタンに捧げられた教会として、1864年に創建された。
フランス人宣教師と日本人大工の協働
大浦天主堂の設計指導はパリ外国宣教会のフランス人司祭、ルイ・テオドール・フューレとベルナール・プティジャン神父によって行われた。彼らは自らこの新しい教会堂のイメージ図を描き、日本人大工に指導したことが1864年に横浜のジラール神父に宛てた書簡により判明している。

施工を担当したのは、天草出身の大工棟梁・小山秀之進(のちに「秀」と改名)である。小山にとって教会建築に携わるのは初めてのことだったが、フランス人宣教師からの指導を受けながら、こうもり天井のアーチを形作るために竹を編むなど、和洋折衷の工法を用いて世界に誇る天主堂を完成させた。
1864年末に竣工し、翌年2月19日に献堂式を挙行。二十六聖殉教者堂と命名された。教会の正面は、殉教の地である西坂に向けて建てられている点も重要である。
信徒発見という歴史的奇跡の舞台
大浦天主堂が歴史に名を刻んだのは、献堂式からわずか1ヶ月後のことである。1865年3月17日、表向きは仏教徒を装いながら内には約250年という長い期間キリストへの厚い信仰を持っていた浦上の潜伏キリシタンが訪れた。
一人の婦人がプティジャン神父に近づき、「ワタシノムネ、アナタトオナジ(私たちもあなたと同じ信仰を持っています)」と囁いた後、「サンタ・マリアの御像はどこ?」と尋ねた。プティジャン神父は大喜びで彼らをマリア像の前へ導いた。世界宗教史上、類まれなこの出来事は「信徒発見」と呼ばれ、世界中に報じられた。
この出来事を見守ったマリア像は「信徒発見のマリア像」と呼ばれるようになり、今も向かって右側の脇祭壇に飾られている。入口中央に置かれているマリア像は、日本に数多くの信徒たちがいたというビッグニュースが全世界に伝えられた後、フランスから記念に贈られてきたものだ。
二度の増改築で現在の姿へ
創建当初の大浦天主堂は三廊式の小さな木造教会堂だった。外観はゴシック様式で、中央に八角柱の尖塔を1つ備え、3本の塔を持つゴシック風の構造ながら、正面中央の壁面はバロック風、外壁はなまこ壁という和洋折衷の意匠であった。なお、創建当時にあった側塔は、ほどなく大風で倒壊したとされている。

1875年と1879年の二度にわたる増改築により、創建時の木造の建物を取り囲む形で拡張され、五廊式の現在の姿となった。平面形式と外観デザインも変容し、外壁も木造から煉瓦造に変更されたが、内部空間の主要部には創建当初の姿が保存されている。
内部は本格的なリブ・ヴォールト天井で、漆喰仕上げの下地は日本建築の伝統的な技法である竹小舞を用いている。天井内部は特殊な編み方の竹組みと土でできており、現在の技術でこれを再現するのは困難とされている。屋根は江戸時代初期に考案され広く普及した桟瓦で葺かれている点も、和洋折衷の特徴を示している。
戦火を乗り越えた国宝建築
大浦天主堂は1933年に国宝に指定され、洋風建築としては初の国宝指定となった。1945年8月9日の長崎への原子爆弾投下では爆風によって破損したが、爆心地から比較的離れていたため倒壊・焼失は免れた。正門や屋根、天井、ステンドグラスなどに甚大な被害を受けたが、5年の歳月をかけて修復が行われ、1952年に完了。現存する日本最古の教会建築として1953年に再度国宝に指定された。

2016年には教皇庁典礼秘跡省長官ロベール・サラ枢機卿による公式文書により、日本初の小バシリカとなった。そして2018年、ユネスコの世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として世界遺産に登録された。
アクセスと見学情報
田平天主堂
田平天主堂の見学には事前連絡が必要である(個人・団体問わず)。連絡先は長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター(TEL 095-823-7650、対応時間9:30~17:30)。ホームページでも受け付けている。
松浦鉄道西田平駅から車で約5分、またはたびら平戸口駅から車で約10分。たびら平戸口駅からレンタサイクルまたはタクシーの利用が一般的で、レンタサイクルでは往復40分近くかかる。西肥バス「天主堂前」バス停もあるが、本数が少ないため注意が必要だ。車の場合は、天主堂前に駐車場が完備されている。
所在地は長崎県平戸市田平町小手田免19番地。国道から案内板を参考にしながら向かう。周辺は麦畑が広がっており、夏は青々とした草原、秋は黄金色の麦穂の向こうに煉瓦色の天主堂が見えて素晴らしいロケーションとなる。
大浦天主堂
JR長崎駅から長崎電気軌道1号系統崇福寺行きで7分、新地中華街で長崎電気軌道5号系統石橋行きに乗り換えて6分、大浦天主堂下で下車、徒歩6分。長崎バスの「大浦天主堂下」バス停または「グラバー園入口」バス停からも徒歩約5分でアクセス可能だ。
天主堂付属の見学者用駐車場はないため、周辺の有料駐車場を利用する必要がある。最寄りの駐車場は徒歩2~3分の距離にある。
拝観時間は通常(3月~10月)が8:30~18:00(最終入場17:30)、冬季(11月~2月)が8:30~17:30(最終入場17:00)。拝観料は大人1,000円、中高生400円、小学生300円で、大浦天主堂キリシタン博物館の入場料込みとなっている。堂内の撮影は不可だが、外観の撮影は可能だ。
所在地は長崎県長崎市南山手町5-3。問い合わせは大浦天主堂券売所(TEL 095-823-2628)まで。
建築が語る信仰の物語
田平天主堂と大浦天主堂。二つの天主堂は、それぞれ異なる時代に、異なる建築家の手によって生み出されながらも、長崎の地に根付いた信仰の歴史を体現している。
田平天主堂は、鉄川与助という日本人建築家が西洋建築を日本の風土と技術に融合させた煉瓦造教会建築の頂点である。多彩な煉瓦積み技法と本格的な内部空間は、和洋折衷の美学が結実した建築作品として、今も多くの人々を魅了し続けている。
大浦天主堂は、フランス人宣教師と日本人大工の協働によって生み出された、日本における西洋建築の黎明期を代表する建造物である。「信徒発見」という歴史的奇跡の舞台となったこの教会は、単なる建築物を超えて、禁教下で信仰を守り続けた人々の証として、世界遺産に登録されている。
長崎を訪れる機会があれば、ぜひこれら二つの天主堂に足を運んでいただきたい。煉瓦の一つ一つ、天井のアーチの一本一本に込められた、建築家と信者たちの情熱と祈りに、きっとあなたも心を動かされるはずだ。
基本情報
田平天主堂(カトリック田平教会)
- 所在地:長崎県平戸市田平町小手田免19番地
- 竣工:大正6年(1917年)10月、献堂式:大正7年(1918年)5月14日
- 設計・施工:鉄川与助
- 構造:煉瓦造および木造、本瓦葺き
- 指定:国の重要文化財(2003年)
- 見学:事前連絡必要(長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター TEL 095-823-7650)
- アクセス:松浦鉄道西田平駅から車で約5分、たびら平戸口駅から車で約10分
- 駐車場:あり
- 所在地:長崎県長崎市南山手町5-3
- 竣工:1864年末、献堂式:1865年2月19日
- 設計:ルイ・テオドール・フューレ、ベルナール・プティジャン神父
- 施工:小山秀之進
- 構造:煉瓦造、本瓦葺き(増改築後)
- 指定:国宝(1933年、1953年再指定)、世界文化遺産(2018年)
- 拝観時間:通常8:30~18:00
- 拝観料:大人1,000円、中高生400円、小学生300円
- アクセス:長崎電気軌道「大浦天主堂下」から徒歩6分
- 駐車場:なし(周辺有料駐車場利用)
- 問い合わせ:大浦天主堂券売所(TEL 095-823-2628)


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