虎ノ門の高層ビル群の谷間に、突如として現れる深い緑。その頂に鎮座する愛宕神社は、標高25.7メートルの愛宕山山頂にある。23区内で自然の地形としては最も高いこの山に、江戸幕府開府とともに創建された社殿は、度重なる災禍を乗り越え、今なお東京の守り神として佇んでいる。
徳川家康が築いた防火の総鎮守
慶長8年(1603年)、江戸に幕府を開いた徳川家康の命により、愛宕神社は創建された。京都の愛宕神社を勧請し、当時「桜田山」と呼ばれていたこの地に火産霊命(ほむすびのみこと)を祀る社殿が建立されたのだ。江戸の街を火災から守る防火の総鎮守として、幕府の篤い崇敬を受けた。

慶長15年(1610年)には、二代将軍徳川秀忠の治世下で、本社をはじめ仁王門、坂下総門、別当所など、多くの建物が将軍家の寄進により整備された。祭礼の際には幕府から下附金が賜られるなど、江戸城の鎮護を担う重要な神社として位置づけられていた。
愛宕山は武蔵野台地の南端に位置し、江戸城から見て南方、東京湾を望む絶好の場所にある。高層建築物が存在しなかった江戸時代、この山頂からは江戸の街並みはもちろん、東京湾や遠く房総半島まで一望できたという。人々は参拝とともに、花見や月見、雪見を楽しむ行楽地としてもこの地を訪れた。
災禍を乗り越えた社殿の再建史
愛宕神社の建築史は、まさに東京の災害史と重なる。江戸の大火で社殿が全焼した後、明治10年(1877年)に本殿・幣殿・拝殿・社務所が再建された。しかし大正12年(1923年)の関東大震災、そして昭和20年(1945年)5月24日の東京大空襲により、太郎坊神社を残して再び社殿は焼失してしまう。
それでも地域の人々の信仰は途絶えることはなかった。戦後の復興期、昭和33年(1958年)9月、氏子たちの浄財により、御本殿、幣殿、拝殿などが再建され、現在に至っている。現在の社殿は、この昭和33年の再建によるものだ。戦後の復興建築として、伝統的な神社建築の様式を継承しながら、当時の建築技術で再現された貴重な建造物である。
社殿は山頂の平坦地に建ち、朱塗りの丹塗りの門が参拝者を迎える。この門には徳川家ゆかりの葵の御紋が施され、江戸時代からの由緒を今に伝えている。門の扁額や彫刻には、火防の神を祀る神社にふさわしい意匠が施されている。
拝殿は入母屋造りで、本殿と幣殿が一体となった権現造りの構成を持つ。戦後の再建ながら、江戸時代から続く神社建築の伝統的な様式を踏襲している。境内には樹齢を重ねた樹木が茂り、都心にありながら神域としての静謐な雰囲気を保っている。
建築的意義を持つ「出世の石段」
愛宕神社を語る上で欠かせないのが、正面参道にある「出世の石段」である。全長約40メートル、86段、傾斜角度約40度という急勾配の石段は、愛宕神社のシンボルとして知られている。
この石段が「出世の石段」と呼ばれるようになったのは、寛永11年(1634年)の故事に由来する。三代将軍徳川家光が芝増上寺からの帰途、愛宕山に咲く梅を見て「誰か馬に乗って梅を取ってこい」と命じた。誰もが躊躇する中、四国丸亀藩士の曲垣平九郎が、この急勾配の石段を馬で駆け上がり駆け下りて、見事に梅を献上したという。家光は平九郎の馬術を称賛し、「日本一の馬術の名人」と讃えた。この偉業により平九郎は一躍その名を轟かせ、出世を果たしたと伝えられている。

現在の石段は、江戸時代から幾度かの改修を経ているが、基本的な構造は当時のままである。一段の高さが約25センチメートルと高く、急勾配であるため、登る者に畏敬の念を抱かせる設計となっている。石段を登りきった先に社殿があるという参道の構成は、神域への段階的なアプローチとして、神社建築の基本を体現している。
石段の脇には女坂と呼ばれる緩やかな坂道も設けられており、参拝者への配慮がなされている。また、現代的な対応として、エレベーターも設置されており、身体の不自由な方でも参拝できるようになっている。
拝殿前の左手には、家光に献上されたという梅の木が今も残されている。樹齢400年近いこの梅は、毎年春になると花を咲かせ、江戸時代の故事を今に伝える生きた証人となっている。
歴史の舞台となった境内
愛宕神社は、日本近代史の重要な舞台ともなった。幕末の慶応4年(1868年)3月、江戸城無血開城に向けての会談が、この愛宕山で行われたとされる。勝海舟が西郷隆盛を愛宕山に案内し、山頂から江戸の街を眺めながら、「この街を戦火で失うわけにはいかない」と語ったという。江戸を一望できる地理的特性が、歴史の転換点において重要な役割を果たしたのである。
また、安政7年(1860年)3月3日の桜田門外の変においては、水戸浪士たちが愛宕神社に集結してから、井伊直弼を襲撃したとされる。境内には「桜田烈士愛宕山遺蹟碑」が建ち、この歴史的事件を伝えている。
アクセスと参拝情報
愛宕神社へのアクセスは、公共交通機関が便利である。東京メトロ日比谷線「神谷町駅」より徒歩5分、同じく日比谷線「虎ノ門ヒルズ駅」より徒歩5分、銀座線「虎ノ門駅」より徒歩8分、都営三田線「御成門駅」より徒歩8分と、複数の駅から徒歩圏内にある。
駐車場は境内に6台分の無料駐車場があるが、台数が限られているため、公共交通機関の利用が推奨される。周辺にはコインパーキングも複数あるが、虎ノ門周辺は再開発が進んでいるため、駐車場の場所や料金は変動する可能性がある。事前に確認することをお勧めする。
参拝時間は特に定められていないが、社務所の受付時間は9時から17時頃までとなっている。年中無休で参拝可能だが、6月23日夜から24日早朝にかけての千日詣り(茅の輪くぐり)や、9月22日から24日の例大祭(出世の石段祭)など、行事の際は特に多くの参拝者で賑わう。
都心に残された建築遺産
再開発が進む虎ノ門エリアにあって、愛宕神社は江戸時代からの歴史と建築様式を今に伝える貴重な存在である。標高25.7メートルという23区内最高峰の自然地形、徳川家康の命により創建された由緒、度重なる災禍からの復興、そして「出世の石段」という独特の参道構成。これらすべてが、この神社の建築的・歴史的価値を形成している。

四季折々の自然に包まれた境内は、都心のオアシスとして、多くのビジネスパーソンの憩いの場ともなっている。春の桜、夏の蝉時雨、秋の紅葉、冬の雪景色。高層ビルに囲まれながらも、豊かな自然が残るこの空間は、江戸から続く東京の記憶を今に伝える場所である。
東京を訪れる機会があれば、ぜひ虎ノ門の一角に佇むこの神社を訪れていただきたい。86段の急勾配を登りきった先に広がる境内からは、かつて江戸の街を一望したであろう眺望に思いを馳せることができる。戦後復興期の建築技術と伝統的な神社建築様式が融合した社殿は、東京の歴史を体現する建築遺産として、これからも人々を見守り続けるだろう。
愛宕神社
- 所在地: 東京都港区愛宕1-5-3
- 創建: 慶長8年(1603年)
- 現社殿: 昭和33年(1958年)再建
- 標高: 25.7メートル(東京23区内最高峰)
- 主祭神: 火産霊命(ほむすびのみこと)
- 構造: 権現造(本殿・幣殿・拝殿)
- 石段: 86段、傾斜角度約40度
- アクセス:
- 東京メトロ日比谷線「神谷町駅」徒歩5分
- 東京メトロ日比谷線「虎ノ門ヒルズ駅」徒歩5分
- 東京メトロ銀座線「虎ノ門駅」徒歩8分
- 都営三田線「御成門駅」徒歩8分
- 駐車場: 境内に6台分(無料、台数限定)
- 電話: 03-3431-0327
- 公式サイト: https://www.atago-jinja.com/


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