千代ケ崎砲台跡 – 明治期の煉瓦造要塞建築|アクセス・駐車場・見学ガイド

神奈川

横須賀市西浦賀、東京湾を望む標高約65メートルの丘陵地に、明治期の軍事建築の精華が今も息づいている。千代ケ崎砲台跡。長年非公開だったこの貴重な近代化遺産が、2021年10月から一般公開され、私たちは今、当時の築城技術を間近に見ることができるようになった。

東京湾要塞を構成した西洋式砲台

千代ケ崎砲台は、明治維新後に首都となった東京と横須賀軍港を防衛するため、東京湾岸一帯に築かれた東京湾要塞群の一つである。その歴史は、1892年(明治25年)12月の起工に始まる。

この地、平根山には実は江戸時代後期から台場が存在した。1811年(文化8年)に会津藩によって築かれた平根山台場である。1837年(天保8年)のモリソン号事件では、この台場から砲撃が行われたという歴史も持つ。明治政府は、こうした江戸期からの軍事拠点としての土地柄を活かし、西洋式の近代要塞を建設したのだ。

工事は日清戦争の最中である1895年(明治28年)2月に竣工した。南北に一直線に並ぶ3砲座に、28センチ榴弾砲が各2門ずつ、合計6門配備された榴弾砲砲台と、15センチ臼砲4門、機関砲4門などを備えた近接防御砲台で構成されている。観音崎砲台の援護、浦賀湾前面海域の防御、そして久里浜方面からの敵上陸に対する防衛が、この砲台に課せられた任務だった。

陸軍工兵による最先端の築城技術

千代ケ崎砲台は、旧日本陸軍の工兵隊によって設計・施工された。当時の日本は、西洋の築城技術を積極的に導入し、近代要塞の建設を進めていた時期である。この砲台は、猿島砲台(1881年起工、1884年竣工)よりも後期に建設されたこともあり、砲台構造の完成度が高く、諸施設も機能的に充実し、建築技術にも進歩が認められる。

特筆すべきは、その煉瓦組積法である。千代ケ崎砲台跡に見られる煉瓦はすべてオランダ積みで、確認されている製造元は小菅集治監に限られている。普通煉瓦と焼過煉瓦が用途によって明確に使い分けられており、露天空間に設けられた施設の前面壁や、露天空間と接する隧道の出入口には、雨水に対する防水と帯水防止のため焼過煉瓦が採用されている。こうした細やかな技術的配慮こそが、築造から130年近くを経た今も当初の姿を良好に保っている理由だろう。

石材にはブラフ積みの凝灰質礫岩切石が用いられている。ブラフ積みとは、切石の面を合わせながら水平に積み上げていく工法で、強度と美観を両立させた技術である。煉瓦と石材が適材適所で使い分けられ、機能性と耐久性を追求した設計思想が、建物全体から読み取れる。

地下施設と塁道が織りなす要塞空間

柵門と呼ばれる砲台の出入口をくぐると、そこには要塞ならではの独特な空間構成が広がっている。砲座とその関連施設である棲息掩蔽部や砲側弾薬庫、貯水所などは、敵艦からの砲撃を避けるため、すべて山側の地下に造られている。

これらの地下施設を結ぶのが「塁道」と呼ばれる交通路だ。トンネル状の隧道と吹き抜けの露天空間が交互に現れ、陽光と暗闇が織りなす空間体験は、現代の建築では決して味わえない独特のものである。塁道の側面は煉瓦積みとブラフ積みが使い分けられ、施設の表面外壁には煉瓦が、その他の箇所には凝灰質礫岩切石が用いられている。

隧道内を進むと、煉瓦造りのアーチが連続する姿が美しい。このアーチ構造も、西洋の築城技術を取り入れたものだ。天井のアーチは荷重を分散させ、地下構造物の強度を高める役割を果たしている。

地上に出ると、東京湾の浦賀水道を一望できる。天気の良い日には房総半島がすぐ目の前に見え、冬の晴れた日には久里浜湾側を臨むと富士山が姿を現すこともあるという。この眺望こそが、砲台としての立地の優位性を物語っている。

国史跡指定と保存への取り組み

千代ケ崎砲台跡は、築造当初の姿を良好にとどめ、日本の近代軍事および築城技術の具体的様相を理解するうえで重要な遺跡として、2015年(平成27年)3月10日、猿島砲台跡とともに「東京湾要塞跡」として国の史跡に指定された。近代の軍事施設に関する遺跡としては、日本で初めての国史跡指定である。

さらに2016年には、日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴〜日本近代化の躍動を体感できるまち〜」の構成文化財の一つとしても認定された。

戦後は海上自衛隊に利用され、2013年まで一般の立ち入りは制限されていた。横須賀市による整備事業が進められ、文化財保存計画協会が計画、設計、監理を担当して保存修理が行われた。将来の保存修理に影響がないよう配慮しながら、安全な見学ルートの確保、部分的な亀裂補修、地下遺構を保護するための柵の設置、見学用の階段手摺や説明板の設置などが実施された。こうした地道な取り組みを経て、2021年10月から土日祝日限定での一般公開が実現したのである。

見学のポイントとガイドツアー

千代ケ崎砲台跡の見学は、地上の砲座だけでなく、地下施設とのセットで体験できることが最大の魅力だ。地下施設内部はガイドツアーでのみ見学可能で、所要時間は45分から60分程度。予約は不要で、現地スタッフに声をかければ参加できる。千代ケ崎砲台跡活用サポーターの会のボランティアガイドが、詳しい解説を交えながら案内してくれる。

建築愛好家として注目したいのは、煉瓦のオランダ積みの技法、ブラフ積みの石材加工、アーチ構造の美しさ、そして機能に応じた材料の使い分けだ。足元のコンクリートや石積、煉瓦は築造当時のままであり、130年近い時を経た本物の質感を味わうことができる。

砲座からの眺望も見逃せない。3つの砲座は南北に一直線に並び、すべて浦賀水道を向いている。当時の砲手たちが見た風景を追体験できる貴重な機会だ。

アクセスと駐車場情報

千代ケ崎砲台跡へのアクセスは、標高約65メートルの高台という立地のため、坂道を登る必要がある。

公共交通機関を利用する場合は、京急久里浜駅または浦賀駅から京急バス(久9・19・29系統)に乗車し、「燈明堂入口」バス停で下車。そこから約300メートルの旧軍道の坂道を徒歩約15分登る。バスの本数は1時間に1本程度と少ないため、事前に時刻表の確認をおすすめする。

自動車の場合は、「燈明堂入口」バス停またはシティーマリーナヴェラシスを目印に海側へ向かう。千代ケ崎砲台跡専用駐車場(無料、約16台)に駐車後、坂道を徒歩約5分。駐車可能台数には限りがあるため、できる限り公共交通機関の利用が望ましい。また、近隣には燈明堂緑地駐車場(有料、29台)もある。なお、史跡内には車両(自転車・二輪車を含む)の進入・駐車はできないので注意が必要だ。

約300メートルの旧軍道の坂道は、ほぼ一直線に続く見通しの良い道で、肉体的にも心理的にもなかなかの急勾配である。しかし、この坂道もまた砲台の歴史を構成する重要な要素だ。敵からの攻撃を考慮した要塞への唯一のアクセス道路として、戦後は市道として利用されてきた道である。

見学情報

  • 公開日時:土日祝日のみ(12月29日から1月3日は除く)
  • 開館時間:10時00分から16時00分まで
  • 入場料:無料
  • ガイドツアー:無料、予約不要、所要時間45〜60分
  • 設備:トイレあり(バイオトイレ)、現地に水道なし

建築史における価値

千代ケ崎砲台跡は、明治期における西洋築城技術の受容と、日本の伝統的な土木技術との融合を示す貴重な建築遺産である。煉瓦造とブラフ積みの組み合わせ、機能に応じた材料の使い分け、地形を巧みに活かした空間構成。これらすべてが、明治日本の技術力の高さを物語っている。

東京湾を望む丘の上に佇む要塞建築。そこには、近代国家として歩み始めた日本が、国防という課題にどう向き合い、どのような技術を駆使して答えを出したのか、その具体的な姿が刻まれている。横須賀を訪れる機会があれば、ぜひ土日祝日に足を運び、この稀有な建築遺産を体感していただきたい。


千代ケ崎砲台跡

  • 所在地:神奈川県横須賀市西浦賀6丁目5−1
  • 起工:1892年(明治25年)12月
  • 竣工:1895年(明治28年)2月
  • 設計・施工:旧日本陸軍工兵隊
  • 構造:煉瓦造(オランダ積)、凝灰質礫岩切石(ブラフ積)
  • 指定:国史跡(平成27年3月10日指定)、日本遺産構成文化財(平成28年)
  • 公開:土日祝日のみ、入場無料
  • アクセス:京急久里浜駅・浦賀駅からバス「燈明堂入口」下車徒歩15分
  • 駐車場:千代ケ崎砲台跡専用駐車場(無料、約16台)、燈明堂緑地駐車場(有料、29台)
  • 問い合わせ:横須賀市教育委員会事務局教育総務部生涯学習課(046-822-8484)

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