旧三笠ホテル見学記 – 明治の薫り漂う「軽井沢の鹿鳴館」

長野

軽井沢の静かなカラマツ林の中に、白い優雅な洋館が佇んでいる。重要文化財・旧三笠ホテル。2025年10月にリニューアルオープンを迎えたこの建物は、明治期の日本が西洋建築と出会い、独自の建築文化を築いていった貴重な証人である。

日本人が築いた純西洋式木造ホテルの誕生

この建物の歴史は、明治37年(1904年)に遡る。実業家・山本直良が軽井沢の三笠山の麓に25万坪の土地を購入し、純西洋式木造ホテルの建設を決意したのがすべての始まりである。

設計を担当したのは、欧米で建築を学んだ岡田時太郎。工事監督は軽井沢の老舗・万平ホテルの創業者である佐藤万平、そして棟梁は小林代造が務めた。明治38年(1905年)に竣工し、翌明治39年(1906年)5月に「三笠ホテル」として華々しく開業した。

特筆すべきは、設計・施工のすべてを日本人が手がけた純西洋式木造建築という点である。当時、多くの洋風建築は外国人建築家の手によるものだったが、三笠ホテルは日本の技術者たちが欧米の様式を咀嚼し、独自の解釈で造り上げた建築なのだ。

建築的特徴とスティックスタイルの魅力

建物の前に立つと、まず目を引くのが木造二階建ての華麗な外観である。アメリカのスティックスタイルを採用したゴシック風のデザインは、当時の国際避暑地・軽井沢の雰囲気を見事に体現している。

外壁は下見板張りで、ドイツ風のデザインを採用。扉のデザインはイギリス風と、各国の建築様式を巧みに融合させた折衷様式となっている。用材には小瀬のアカマツが使用され、現場で製材されたという。建築面積513.62平方メートル、二階建ての建物には、玄関ポーチと八角形の屋根塔屋が付属する。屋根はスレート葺きで、当時としては最先端の材料が用いられた。

建物には二つの玄関がある。かつてメインとして使われていた中央の車寄せ付き玄関は、バルコニーを備えた重厚な造り。現在は右側の三角屋根に「三笠ホテル」の看板が掲げられた玄関から入館する仕組みとなっている。

ホテル時代の栄華と「軽井沢の鹿鳴館」

館内に足を踏み入れると、広々としたロビーが出迎える。ここはかつてダイニングルームとして使用されていた場所で、近衛文麿がここで晩餐会を開いた写真も残されている。天井から吊り下げられた優美なシャンデリアは当時から使われているもので、ガス灯を電灯に改めたものだという。

客室は30室で定員40人という規模ながら、設備は当時としては最高峰のものを誇った。水洗トイレ、電灯によるシャンデリア照明、英国製カーペット、そしてプールまで備えていた。軽井沢駅から約2キロの道のりを黒塗りの馬車で送迎するというサービスも行われ、当時の先進性が窺える。

三笠ホテルを訪れた顧客は、まさに錚々たる顔ぶれだった。渋沢栄一、団琢磨、住友友純、乃木希典将軍、愛新覚羅溥儀など、日本の政財界を代表する人物たちがこのホテルに滞在した。欧米人とともに日本の要人が集う社交場として機能したことから、「軽井沢の鹿鳴館」とも呼ばれるようになった。上皇后美智子も独身時代にこのホテルに宿泊されている。

軽井沢彫の家具が語る文化の創造

館内の調度品でひときわ目を引くのが、軽井沢彫の家具である。当時は西洋風の家具が入手困難だったため、地元の木材を使い、軽井沢の四季を表現した彫刻を施して家具が製作された。

旧三笠ホテルの家具は、初期の軽井沢彫で、現在一般に知られているものよりも彫りが浅く、シンプルなデザインが特徴だという。この家具は単なる調度品ではなく、西洋式のホテル運営を行うために日本が独自に生み出した文化的創造の産物なのである。

創業者・山本直良は妻が作家・有島武郎の妹ということもあり、ホテルは白樺派のサロンとしても利用された。英国から取り寄せたすべての洋食器には、画家の有島生馬が絵付けを行っている。また、直良は陶芸家・宮川香山らを京都から招いて三笠焼を開窯し、あけび細工や軽井沢彫りなど地元の工芸品の奨励にも尽力した。

戦争と接収の時代を経て

昭和19年(1944年)、太平洋戦争の影響でホテルは休業を余儀なくされる。軽井沢が駐日外国人の疎開地に指定されたことから、外務省の軽井沢出張所が設置された。向かいにはスイス公使館が位置し、終戦事前外交交渉の会場としても使用されるなど、歴史の重要な舞台となった。

戦後はアメリカ陸軍第一騎兵師団に接収され、進駐軍の施設として使用される。1951年には進駐軍の失火により別館が焼失。1952年に米陸軍第八軍の使用が終了すると、「三笠ハウス」の名称で営業を再開し、1970年(昭和45年)まで営業を続けた。

廃業時点で、竣工当初の建物のおよそ50パーセントが現存していた。その歴史的価値が認められ、1980年5月31日付で国の重要文化財に指定され、1983年より一般公開が始まった。

リニューアルオープンで蘇る文化交流の場

約5年半に渡る耐震補強を含む保存修理工事を経て、2025年10月1日、旧三笠ホテルは新たな姿で再出発した。今回のリニューアルでは、歴史的建造物としての価値を保存しながら、現代の文化交流拠点としての機能を付加している。

新たに設置されたカフェでは、当時の雰囲気を楽しみながら軽井沢の味を堪能できる。三笠ホテルビーフカレーや軽井沢アップルパイ、フラワーゼリーなど、歴史に思いを馳せながら楽しめるメニューが揃う。

展示室では、旧三笠ホテルの歴史や保存修理工事の内容、軽井沢の歴史が紹介され、音声ガイドや映像資料も用意されている。客室を改装した展示室には当時の調度品や貴重な新聞広告が展示され、色鮮やかでレトロなデザインの荷札ステッカーなどはミュージアムショップで購入できる。

エレベーターとトイレ棟が新設され、バリアフリー対応も施された。貸室も整備され、会議や撮影など多目的に利用できるようになっている。

三笠通りのカラマツ並木と調和する景観

旧三笠ホテルは、建物単体としてだけでなく、周辺環境との調和においても高い評価を受けている。旧軽井沢ロータリーから続く三笠通りは、美しいカラマツ並木で知られ、新日本街路樹百景にも選ばれている。

秋になると、このカラマツ並木は黄金色に色づき、白い洋館との対比で鮮やかな景観を生み出す。建物の前にはカエデの木があり、紅葉の時期には白い洋館との対比で一層美しい光景が広がる。

アクセス情報と駐車場

旧三笠ホテルへのアクセスは、JR北陸新幹線・軽井沢駅が最寄り駅となる。

【公共交通機関】 ・軽井沢駅北口バス停2番から草軽交通バス草津温泉行きで約10分、三笠バス停下車徒歩3分

【車でのアクセス】 ・上信越自動車道・碓氷軽井沢ICから約13.2キロ、約19分 ・軽井沢駅から約3.5キロ、車で約6分

【駐車場】 ・無料駐車場あり(普通車20台、大型車2台) ・駐車場は建物から100メートルほど白糸の滝方面に上がった左側に位置

旧軽井沢から車で5分ほどの立地で、自転車でのアクセスも人気だ。ただし、三笠通りには緩やかな上り坂があるため、電動アシスト自転車の利用が推奨される。

施設情報

【開館時間】9時〜17時(入館は16時30分まで) 【休館日】年末年始ほか(詳細は公式サイトを確認) 【入館料】

  • 大人:400円
  • 高校生以下:200円
  • 乳幼児:無料
  • 6館共通券:大人600円、子供300円 (6館:旧三笠ホテル、旧近衛文麿別荘、追分宿郷土館、堀辰雄文学記念館、軽井沢型絵染美術館)

【お問い合わせ】 軽井沢町教育委員会生涯学習課文化振興係 電話:0267-45-8695 旧三笠ホテル直通:0267-42-7072

建築遺産が伝える明治の夢

明治38年(1905年)の竣工から120年。旧三笠ホテルは、日本が近代化の道を歩み始めた時代の息吹を、今も色濃く伝えている。

日本人の手による純西洋式木造建築として、当時の技術者たちがどれほど熱心に西洋の建築様式を学び、それを日本の風土に合わせて昇華させたかが、この建物の細部から読み取れる。スティックスタイルのゴシック建築でありながら、日本の木造建築の技法が随所に生きているのだ。

「軽井沢の鹿鳴館」として機能した社交の場は、単なる宿泊施設ではなく、日本の近代化を象徴する文化サロンだった。政財界の要人が集い、文化人が語らい、国際的な交流が行われた空間は、明治から大正、昭和へと続く日本の歩みそのものを体現している。

軽井沢を訪れる機会があれば、ぜひこの歴史的建造物に足を運んでいただきたい。カラマツ林に囲まれた静謐な環境の中、白い洋館が静かに佇む光景は、時を超えて私たちに語りかける。明治の人々が抱いた夢と情熱、そして建築という形で残された文化の記憶が、きっとあなたの心に響くはずだ。


旧三笠ホテル

  • 所在地長野県北佐久郡軽井沢町大字軽井沢1339-342
  • 竣工年:1905年(明治38年)
  • 開業年:1906年(明治39年)5月
  • 設計:岡田時太郎
  • 工事監督:佐藤万平
  • 棟梁:小林代造
  • 創業者:山本直良
  • 構造:木造二階建て、建築面積513.62㎡、スレート葺
  • 様式:スティックスタイル(ゴシック風)、擬洋風建築
  • 指定:国指定重要文化財(1980年5月31日指定)
  • 開館時間:9:00〜17:00(入館は16:30まで)
  • 入館料:大人400円、高校生以下200円
  • 駐車場:無料(普通車20台、大型車2台)
  • アクセス:JR軽井沢駅から車で約6分、バスで約10分
  • 問い合わせ:0267-45-8695(軽井沢町教育委員会)

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