鎌倉駅から鶴岡八幡宮へと続く若宮大路。古都の中心を貫くこの通りを歩く観光客の多くは、中世の寺社仏閣に目を向ける。しかし足を止めて周囲に視線を移せば、道の両側には昭和初期に建てられた商店建築が今も静かに営業を続けている。今回訪れた湯浅物産館と三河屋本店は、戦前の鎌倉商業建築を代表する二つの建物だ。洋風の看板建築と伝統的な出桁造り、対照的な様式を持つこれらの建物は、どちらも同じ名工の手によって生み出された。
湯浅物産館 – スクラッチタイルが映える看板建築の傑作
若宮大路の西側商店街を八幡宮に向かって歩いていると、突如として洋風のファサードが目の前に現れる。スクラッチタイルで覆われたモダンな外観。これが昭和11年(1936年)に建てられた湯浅物産館だ。

建物は間口6間(約10.8m)、奥行11.5間(約20.7m)という若宮大路沿いでは最大規模を誇る木造二階建ての商店建築である。木造でありながら正面は完全な洋風の意匠で統一され、背後に和風建築が控えていることを微塵も感じさせない。この建物は国登録有形文化財および鎌倉市景観重要建築物第25号に指定されており、鎌倉における看板建築の代表例として建築史的に高い評価を受けている。
ファサードに込められた設計思想
建物の最大の見どころは、そのファサードデザインにある。全面にスクラッチタイルを張り詰め、二階部分には半円形のファンライト(欄間)を備えた上げ下げ窓が6連で並ぶ。この窓の配列が生み出すリズム感と、タイルの質感が織りなす陰影は、戦前の商業建築が持つ独特のモダニズムを体現している。
内部空間もまた特筆に値する。店舗建築としては珍しく、建物の中央部に2間×1.5間の吹き抜け空間が設けられている。この吹き抜けの頂部にはトップライト(天窓)が配され、自然光が店内の奥深くまで差し込む仕組みだ。この採光計画は機能性とデザイン性を兼ね備えた、当時としては先進的な建築的工夫といえる。

店主の情熱と横浜での実地研修
湯浅物産館は、明治30年(1897年)創業の貝細工製造卸売業「湯浅商店」の店舗として建てられた。店主の湯浅新三郎は進取の気性に富んだ人物として知られ、関東大震災後の仮店舗を経て現在の建物を新築する際には、「火災に負けない頑丈な建物を」という明確なビジョンを持っていたという。
興味深いのは、新三郎が大工を横浜へ連れていき、当時の貿易商社の建物を実際に見学させて参考にしたという逸話だ。この実地研修が、湯浅物産館の完成度の高い洋風デザインに結実した。施工を担当したのは、後述する三河屋本店も手がけた名工・金子卯之助である。
現代に生きる歴史的建造物
平成26年(2014年)に耐震補強工事を実施し、建物の歴史的価値を保存しながらリニューアルオープンを果たした。現在、一階には帽子屋、絨毯店、ランプ屋が入居し、奥にはカフェ「久時(ひさき)」が営業している。二階は写真スタジオとして活用され、歴史的建造物の保存と現代的な利活用を両立させた好例となっている。
吹き抜けから注ぐ自然光に包まれながらコーヒーを楽しむひとときは、昭和初期にタイムスリップしたかのような不思議な感覚をもたらしてくれる。
三河屋本店 – 出桁造りに宿る伝統の技
湯浅物産館から若宮大路を少し八幡宮方面へ進むと、今度は重厚な木造建築が視界に飛び込んでくる。明治33年(1900年)創業の老舗酒店、三河屋本店だ。
現在の建物は昭和2年(1927年)に建てられたもので、間口5間(約9m)、奥行8間(約14.4m)の木造二階建て、切妻造、桟瓦葺である。湯浅物産館と同じく国登録有形文化財および鎌倉市景観重要建築物第22号に指定されており、若宮大路唯一の木造文化財として貴重な存在となっている。

伝統的な店構えと複雑な屋根構成
三河屋本店の建築的特徴は、何といっても伝統的な「出桁造り(でげたづくり)」の店構えにある。一階正面に下屋を張り出し、正面軒を出桁造りとして、成(せい)の高い長大な差鴨居を渡すことで重厚な外観を実現している。
複雑に重なり合う屋根の構成も見事だ。前後に二つの棟を並行にかけ、前方を切妻、後方を寄棟とする独特の架構が採用されている。内部は通り土間を通し、店舗部分は木太い根太天井を現している。床上部の奥には座敷が配され、店舗兼住宅としての機能を完結させている。
さらに特筆すべきは、敷地内に残るトロッコ用レールの存在だ。これは商品の運搬に使用されていたもので、戦前の商店建築の実態を物語る貴重な遺構といえる。店舗、蔵、そしてトロッコ用レールと、戦前の店舗兼住宅の建築がワンセットで現在も残されている三河屋本店は、建築史的にも民俗史的にもきわめて貴重な存在なのである。
名工・金子卯之助と施主のこだわり
三河屋本店の建設には興味深いエピソードが残されている。当初は別の大工が担当する予定だったが、店主の竹内福蔵が建物に対して種々厳しい要求をしたため、その大工は施工を放棄してしまった。そこで白羽の矢が立ったのが、鎌倉で名を馳せていた大工の金子卯之助である。

金子卯之助は湯浅物産館と三河屋本店という、若宮大路を代表する二つの戦前商店建築を手がけた名工だ。洋風の看板建築と伝統的な出桁造りという、まったく異なる様式の建築を高い水準で完成させたその技術力は特筆に値する。施主の厳しい要求にも応えた金子の仕事は、現代に至るまで鎌倉の街並みを支え続けている。
全国初の保存活用プロジェクト
三河屋本店は明治33年の創業以来、120年以上にわたり鶴岡八幡宮や建長寺などに酒を販売・配送する酒店として、鎌倉の発展を支えてきた。しかし若宮大路が防火地域に指定されたことで、木造建築の維持が困難となる状況に直面していた。
この課題に対し、官民学が連携した全国初の取り組みが始動している。建築基準法の適用除外制度を活用し、保存と活用を両立させるプロジェクトが進行中で、2026年春には結婚式もできるレストラン・酒屋としてグランドオープンする予定だ。防火地域内の木造文化財建築の保存活用事例として、全国的にも注目を集めている。
二つの建築が語る昭和商業建築の系譜
湯浅物産館と三河屋本店という二つの建築を通じて見えてくるのは、昭和初期の鎌倉における商業建築の多様性である。洋風のモダニズムを体現する看板建築と、日本の伝統的な出桁造りという対照的な様式が、同じ通り沿いに並存している様は、当時の鎌倉が持っていた文化的な懐の深さを物語っている。
両建築に共通するのは、施主の強いこだわりと、それに応えた大工・金子卯之助の確かな技術力である。湯浅新三郎が横浜の洋風建築を研究し、竹内福蔵が厳しい要求を貫いたように、建築主の明確なビジョンが優れた建築を生み出す原動力となった。そして金子卯之助という名工がそのビジョンを形にすることで、時代を超えて価値を持ち続ける建築が誕生したのである。
訪問のすすめ
鎌倉を訪れる際には、ぜひ若宮大路沿いのこれらの建築に注目していただきたい。中世の寺社建築も素晴らしいが、昭和初期の商業建築もまた、鎌倉という都市の歴史を構成する重要なレイヤーなのだ。
湯浅物産館は現在も営業中で、カフェでの休憩も可能だ。三河屋本店は改修工事のため2026年春のグランドオープンまで休業中だが、外観の見学は可能である。若宮大路を歩く際には、少し足を止めて、これらの建築が持つディテールに目を凝らしてみてほしい。スクラッチタイルの質感、ファンライトの曲線、出桁造りの力強い木組み。そこには、90年近い時を経てなお色褪せない、昭和モダニズムの輝きが宿っている。
建築は単なる過去の遺物ではない。適切に保存・活用されることで、現代に生き続ける文化資産となる。湯浅物産館と三河屋本店は、その最良の例証といえるだろう。古都鎌倉の新たな魅力を、これらの近代建築が教えてくれるはずだ。
湯浅物産館
- 所在地:神奈川県鎌倉市雪ノ下1-6-8
- 建築年代:昭和11年(1936年)
- 設計・施工:金子卯之助(大工)
- 構造:木造二階建て、間口6間×奥行11.5間
- 指定:国登録有形文化財、鎌倉市景観重要建築物第25号
- 営業:1階は店舗・カフェとして営業中
- アクセス:JR鎌倉駅東口から徒歩約5分
- 〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下1丁目9−27
三河屋本店
- 所在地:神奈川県鎌倉市雪ノ下1-8-36
- 建築年代:昭和2年(1927年)
- 設計・施工:金子卯之助(大工)
- 構造:木造二階建て、切妻造、桟瓦葺、間口5間×奥行8間
- 指定:国登録有形文化財、鎌倉市景観重要建築物第22号
- 営業:2026年春のグランドオープンに向けて改修工事中
- アクセス:JR鎌倉駅東口から徒歩約6分
- 〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下1丁目9−23


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