朝の東京駅は、いつものように慌ただしい人波に包まれていました。しかし今日は違います。東北新幹線のホームに向かう足取りは軽やか。岩手・宮城・秋田の名建築を巡る2日間の旅が始まるのです。スーツケースを引きずりながら、車窓に流れる景色への期待で胸が躍ります。
一ノ関駅からレンタカーで、いざ建築巡りの旅へ
東京駅を出発してわずか2時間10分。あっという間に一ノ関駅に到着です。駅前のレンタカー営業所で手続きを済ませ、いよいよ本格的な建築散歩のスタートです。カーナビに最初の目的地「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」を入力すると、約1時間のドライブコースが表示されました。
震災の記憶を建築に刻む ~気仙沼震災遺構伝承館~
最初に訪れたのは、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館。2019年3月にオープンしたこの施設は、震災で被災した旧宮城県気仙沼向洋高等学校の校舎を、ほぼ当時のまま保存した極めて特異な建築です。


1968年に建てられた鉄筋コンクリート造4階建ての校舎は、津波によって4階まで被災しました。教室の窓ガラスは割れ、壁には津波の到達点を示すマークが残っています。階段室を上がりながら、自然の脅威がいかに建築を破壊するかを目の当たりにしました。設計者や施工者の名前は震災によって失われてしまいましたが、この建築そのものが震災の証人として、私たちに多くのことを語りかけています。
建築が「記憶装置」として機能する稀有な事例。そんな思いを胸に、次の目的地へ車を走らせました。
平安の極楽浄土を現世に ~中尊寺金色堂~
平泉の中尊寺は、何度訪れても感動を新たにする場所です。特に1124年(天治元年)、奥州藤原氏初代清衡公によって建立された金色堂は、日本建築史上の至宝といっても過言ではありません。

三間堂、宝形造、杮葺きの金色堂は、一辺約5.5メートル四方、高さ約8メートルの木造建築です。しかし、そのサイズからは想像できないほどの圧倒的な存在感があります。内外に金箔を押した「皆金色」の建築は、まさに極楽浄土を現世に再現しようとした清衡公の思想の結晶です。


螺鈿細工に使われた夜光貝は、はるか南洋の海からシルクロードを渡ってもたらされました。象牙や宝石による装飾とともに、当時の国際的な交易の証でもあります。建築技術の粋を集めただけでなく、平安時代の国際性をも物語る貴重な建築遺産です。
武家屋敷の粋を味わう ~角館歴史村・青柳家~
2日目は秋田県からスタートです。みちのくの小京都と呼ばれる角館で、まず訪れたのが青柳家住宅でした。

1860年代に建てられたこの武家住宅は、佐竹北家に仕えた格式の高い家柄の屋敷です。約3,000坪の広大な敷地には、主屋、蔵、庭園が一体となって配置されています。茅葺・板葺併用の木造平屋建ての主屋は、秋田特有の建築手法が随所に見られます。
特に印象深かったのは、大黒柱に使われた樹齢400年のケヤキです。東北地方の豊富な森林資源を活かした伝統建築技術の粋を感じることができました。雪国ならではの「カマクラ」や「ハナレ」といった建築要素も興味深く、気候風土と建築の密接な関係を実感しました。



武家の暮らしぶりを建築から読み取る贅沢な時間。角館の街並みを歩きながら、江戸時代の空気を味わいました。
明治の洋風建築に触れる ~秋田市赤れんが郷土館~
旅の最後を飾るのは、秋田市赤れんが郷土館(旧秋田銀行本店本館)です。1912年(明治45年)の竣工で、設計者は秋田県出身の建築家・山口直昭です。


この建物の魅力は、なんといっても「擬洋風建築」としての特異性にあります。外観は洋風でありながら、内部には和風の技法が多用されているのです。外壁の赤煉瓦は地元産の粘土を使用し、左官工事には秋田の伝統的な技術が駆使されました。


2階ホールの折上格天井は圧巻です。純和風の技法でありながら、洋風建築に見事に調和しています。地元出身でありながらヨーロッパ建築を学んだ山口直昭ならではの、西洋建築技術と日本の伝統建築技術を融合させた貴重な建築遺産でした。

国の重要文化財に指定されているのも頷ける、明治時代の建築技術の到達点を示す建物です。
秋田空港から羽田へ ~建築旅行を振り返って~
秋田市から秋田空港までは約1時間のドライブ。レンタカーを返却し、ANA便で羽田空港へ向かいます。飛行時間はわずか1時間25分。あっという間に東京の夜景が眼下に広がりました。
今回の2日間で巡った4つの建築は、それぞれが異なる時代と文化を背景に持ちながら、東北という風土に根ざした貴重な建築群でした。震災の記憶を刻む現代の「負の遺産」から、平安時代の極楽浄土建築、江戸時代の武家住宅、明治の擬洋風建築まで、まさに日本建築史の縮図のような旅でした。
特に印象深かったのは、どの建築も厳しい自然環境に対応した独自の工夫が凝らされていることです。雪国の知恵、津波への対応、極楽浄土への憧憬、西洋文化への憧れ…それぞれの時代の人々の想いが建築に込められていました。
新幹線とレンタカー、そして飛行機を使った効率的なルートで、短時間でも充実した建築巡りができることを実感しました。次回はもう少し時間をかけて、東北のさらなる建築遺産を探訪したいと思います。
建築を通じて歴史と文化に触れる旅。それは私たちの心に深い感動と新たな発見をもたらしてくれる、かけがえのない体験でした。


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