運河が織りなす美しい街並みで知られるオランダ。その中央に位置するユトレヒトは、中世の面影を残しながらも革新的な建築が共存する、建築愛好家にとって宝庫のような都市です。初夏の爽やかな風に誘われて、この歴史ある大学都市の建築散歩に出かけました。
旅の始まりは波のような屋根から —— ユトレヒト中央駅
ユトレヒト中央駅(Utrecht Centraal)に降り立った瞬間、目の前に広がったのは巨大な波のような屋根に覆われた駅前広場でした。この印象的な屋根は、オランダを代表する建築事務所ベンテム・クラウエル・アーキテクツ(Benthem Crouwel Architects)によって設計されたものです。

Jan BenthemとMels Crouwelが提案した波状の屋根は、単なる装飾ではなく実用的な機能も兼ね備えています。屋根の波は動線を示すウェイファインダーとしての役割を果たし、夜間にはLEDライトによって美しく照らされます。2016年に完成したこの駅舎は、1日20万人以上の乗客を迎える交通ハブとして、鉄道、バス、トラムのすべてを一つの屋根の下に統合した画期的な設計です。地下には世界最大級の自転車駐輪場があり、12,500台もの自転車を収容できることは、自転車大国オランダならではの配慮と言えるでしょう。


中世の威容を誇る —— ドム教会
街の中心部へ向かうと、ユトレヒトの象徴であるドム教会(Dom Church)が姿を現します。14世紀から15世紀にかけて建設されたこのゴシック様式の教会は、高さ112メートルを誇るオランダで最も高い教会塔として知られています。

1254年に建設が始まり、約250年をかけて完成したこの教会には興味深い歴史があります。1674年の竜巻によって身廊部分が倒壊し、現在は塔と内陣部分のみが残っています。この災害によって生まれた空間は現在「ドム広場」として市民の憩いの場となっており、中世の建築と現代の都市生活が自然に融合している様子を見ることができます。
運河に映える街並みとミッフィーの発見
ドム教会から運河沿いを歩くと、ユトレヒト特有の美しい街並みが展開されます。運河沿いの建物群で特に目を引くのは、地下室を持つ独特な「ヴェルフ」と呼ばれる建築様式です。運河面より低い位置に店舗を設け、上層階を住居とするこの構造により、建物は二層構造の豊かな表情を見せます。

建築散歩の途中で出会った心温まる発見が、ミッフィーの信号機でした。ディック・ブルーナの故郷であるユトレヒトならではのこの信号機は、地域文化と都市インフラが融合した素晴らしい事例です。ミッフィーの耳が青く光れば「進め」、赤く光れば「止まれ」という、子どもたちにも分かりやすいデザインは、公共デザインにおける人間中心設計の優れた例と言えるでしょう。


建築史に名を刻む傑作 —— シュレーダー邸
今回の建築散歩のハイライトは、2000年にユネスコ世界遺産に登録されたシュレーダー邸(Rietveld Schröder House)でした。この小さな住宅は、20世紀建築史において極めて重要な位置を占める作品です。

設計者は、ユトレヒト生まれの建築家兼デザイナーであるヘリット・リートフェルト(Gerrit Rietveld、1888-1964)です。1924年に完成したこの住宅は、デ・ステイル運動を代表する建築作品として位置づけられています。デ・ステイルは1917年にオランダで始まった芸術運動で、ピエト・モンドリアンの絵画で知られる抽象的な幾何学形態を建築に応用したものです。
シュレーダー邸の外観は、まさにモンドリアンの抽象画が立体化されたような印象を与えます。白い壁面と黒い線材、そして部分的に使用された原色(赤、青、黄)が、三次元空間の中で絶妙なバランスを保っています。装飾的要素を一切排除した極めてミニマルな構成でありながら、2階部分は可動式の間仕切りを採用し、「フレキシブル・プラン」を実現した革新的な住宅でした。



この住宅を建設したトゥルース・シュレーダー夫人は、前衛的な思想を持つ女性で、リートフェルトと協働して新しい住まい方を追求しました。鉄筋コンクリート造でありながらカンチレバー構造を採用し、コーナー部分の連続窓によって建物が宙に浮いているような軽やかさを実現しています。

時代を超えた建築の対話
ユトレヒトでの建築散歩を通じて強く印象に残ったのは、異なる時代の建築が互いに対話を続けている街の姿でした。中世ゴシックのドム教会、20世紀モダニズムの先駆的なシュレーダー邸、そして21世紀の革新的な中央駅。これらの建築は、それぞれが時代の最先端技術と美学を体現しながら、同じ都市空間の中で調和を保っています。
特にシュレーダー邸で感じたのは、建築が単なる構造物を超えて、人々の生き方や社会の価値観を表現する媒体であるということでした。100年前にリートフェルトとシュレーダー夫人が提案した「固定観念にとらわれない住まい方」は、現代の多様なライフスタイルを模索する私たちにとって、今なお新鮮な示唆を与えてくれます。運河沿いを歩きながら、建築が都市の記憶を保存し、未来への可能性を示す装置であることを実感した、充実した一日となりました。
今回訪れた建造物
Utrecht Centraal 〒3511 CE ユトレヒト, オランダ
ドム教会 Achter de Dom 1, 3512 JN Utrecht, オランダ
Miffy’s Traffic Light Vredenburgviaduct, 3511 BK Utrecht, オランダ
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