虎ノ門から歩く、霞が関の歴史散策:真夏の太陽の下、名建築を巡る一日

東京

虎ノ門駅から霞が関、そして国会議事堂まで、真夏の太陽が照りつける中、歴史的建造物を巡る散歩に出かけました。30度を超える暑さの中、日傘を片手に歩き回ったこの旅は、汗だくになりながらも、日本の近代建築の奥深さに触れる貴重な時間となりました。

霞が関の歴史を歩く:旧文部省庁舎から霞が関ビルへ

旅の始まりは虎ノ門駅。地上に出ると、目の前には数々の省庁ビルが立ち並ぶ霞が関の街並みが広がっていました。まず向かったのは、旧文部省庁舎(現在の文部科学省)。この建物は、昭和8年(1933年)に竣工しました。設計は文部省の営繕課が担当し、施工は大倉土木(現・大成建設)が行いました。特徴的なのは、その重厚なデザイン。外壁には石材が用いられ、どっしりとした威厳を感じさせます。

次に足を運んだのは、文化財ではありませんが、霞が関を語る上で欠かせない存在、霞が関ビルです。昭和43年(1968年)に竣工したこのビルは、日本初の超高層ビルとして、日本の建築史に大きな足跡を残しました。地上36階建て、高さ147メートル。当時は「超高層」という言葉すら珍しく、耐震技術も未確立な中での挑戦でした。設計は山下寿郎建築事務所、施工は三井不動産を筆頭とする建設会社各社が担当しました。

このビルが建設されたことで、日本の都市の景観は一変し、その後の超高層ビル建設ラッシュのきっかけとなりました。現在では、さらに高いビルが次々と建てられていますが、霞が関ビルが放つ独特の存在感は、今もなお色あせません。

重厚な赤煉瓦が魅せる官庁街の顔:法務省旧本館

霞が関ビルからほど近い場所にあるのが、法務省旧本館です。通称「赤れんが棟」として知られるこの建物は、国の重要文化財に指定されています。明治28年(1895年)に竣工したこの建物は、ドイツ人建築家のヘルマン・エンデとヴィルヘルム・ベックマンによって設計されました。施工は司法省営繕課が担当しました。ネオバロック様式を基調とした赤煉瓦の美しい外観は、まるでヨーロッパの街角に迷い込んだかのようです。

左右対称の安定したデザインは、官庁建築にふさわしい重厚感と威厳を醸し出しています。この建物の設計には、明治政府が近代国家の仲間入りを目指し、西洋の先進技術や文化を積極的に取り入れた「お雇い外国人」の存在が大きく影響しています。特に、明治時代にはドイツ法が日本の法制度の基礎となった経緯があり、法務省の建物がドイツ人建築家によって設計されたのは、歴史的な必然だったのかもしれません。

日本の基準点と民主主義の象徴:日本水準原点と国会議事堂

法務省旧本館から桜田門へ。桜田門は、単なる歴史的な門というだけでなく、江戸城の防衛の要として、そして日本の歴史における重要な舞台として、様々な物語を秘めています。

正式には外桜田門と呼ばれ、現在の皇居外苑に位置しています。その名の通り、かつては江戸城の最も外側の門の一つでした。創建は寛永年間(1624~1644年)頃とされていますが、現存する門は寛文3年(1663年)頃に再建されたものがもとになっています。その後、大正12年(1923年)の関東大震災で破損した際には、内部構造が鋼鉄土蔵造りに改修され、現在の姿となりました。昭和36年(1961年)には、国の重要文化財に指定されています。

皇居のお堀沿いを歩くと、次の目的地、日本水準原点が見えてきます。これは、日本の土地の高さの基準となる場所で、明治24年(1891年)に設置されました。建物の内部には、水準原点標石が収められています。この小さな建物もまた、国の重要文化財に指定されており、日本の測量史における重要なモニュメントです。

そして、最後は国会議事堂です。大正9年(1920年)に着工され、昭和11年(1936年)に竣工しました。設計は公募により選ばれた渡辺福太郎が原案を作成し、その後、大蔵省営繕管財局がまとめました。施工は、大倉土木、清水組、竹中工務店、大林組、鹿島組といった日本を代表する建設会社が共同で担当しました。

中央にそびえる塔は高さ65メートル。ピラミッド状の屋根と、シンメトリーなデザインは、権威と安定を象徴しています。外壁には、国内で産出された花崗岩が使用されており、日本人の手によって、日本の素材を使って建てられた、真の日本の民主主義を象徴する建物と言えます。

日差しが降り注ぐ中、威風堂々とした国会議事堂を眺めながら、この建物を設計し、建設に携わった多くの人々の情熱と、日本の近代化の歩みに思いを馳せました。

旅の終わりに

30度を超える真夏日の中、汗を拭きながら歩いた今回の散歩。霞が関周辺には、文化財指定されていない建物の中にも、財務省庁舎のように、古く趣のある建築物がたくさんあり、この街全体が「生きた建築博物館」のようでした。

旧文部省庁舎の石垣から始まり、霞が関ビルの挑戦、法務省の優雅な赤煉瓦、そして日本の民主主義を象徴する国会議事堂へと至る道は、日本の近代化の歴史そのものを辿る旅でした。

これらの建築物は、単なる機能的な建物ではなく、それぞれの時代が抱えていた希望や課題、そして美意識を伝える貴重な文化財です。日傘をさしながら見上げたどの建物も、過去から現在へと続く日本の歩みを、雄弁に語りかけているようでした。

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