佐賀県鹿島市の石壁山中腹に、鮮やかな朱色に彩られた壮麗な社殿が佇んでいる。祐徳稲荷神社——伏見稲荷大社、笠間稲荷神社と並ぶ日本三大稲荷のひとつである。総漆塗り極彩色の本殿は地上約18メートルの高さに舞台造りで建てられ、その荘厳な美しさから「鎮西日光」とも称される。年間約300万人が参拝に訪れるこの神社は、建築的にも注目すべき神社建築の傑作だ。
角南隆が手がけた再建建築
現在の本殿は、昭和32年(1957年)に再建された3代目の社殿である。初代は貞享4年(1687年)に肥前鹿島藩主鍋島直朝の夫人・花山院萬子媛によって創建されたが、昭和24年(1949年)5月の火災で惜しくも焼失した。
再建を手がけたのが角南隆(すなみ たかし、1887-1980年)である。角南は東京帝国大学工科大学建築学科を卒業後、明治神宮造営局技師を経て内務省技師として多くの神社建築に関与した建築家で、神祇院造営課長も務めた神社建築の第一人者だった。祐徳稲荷神社再建時には伊勢神宮造営局長の職にあり、伊勢神宮で培った伝統建築の知識と技術を駆使して、この壮麗な社殿を設計した。角南の代表作には明治神宮宝物殿や橿原神宮文華殿などがあり、近代における神社建築の発展に大きく貢献した人物である。

舞台造りの本殿を巡る
117段の急な石段を登った先、石壁山の岩崖を背にして建てられているのが本殿である。地上約18メートルの高さに位置する本殿は、京都の清水寺を彷彿とさせる舞台造りを採用している。実際、この舞台の高さは清水寺よりも高いとされ、山裾から見上げる姿は圧巻である。
本殿は舞台造りの上に建てられた総漆塗りの建物で、神殿、拝殿、回廊が一体となった複合建築となっている。木々の緑に映える鮮やかな朱色と金色の装飾が織りなす極彩色の美しさは、まさに「鎮西日光」の名にふさわしい。
楼門から本殿へと続く階段は急勾配で、参拝者を段階的に神域へと導く空間構成となっている。階段を登りながら振り返ると、鹿島市街から有明海まで見渡せる絶景が広がる。この眺望も、建築配置における重要な演出のひとつだ。
総漆塗り極彩色の意匠
祐徳稲荷神社の最大の特徴は、主要建物がすべて総漆塗りで仕上げられていることである。本殿、神楽殿、楼門といった主要建築物が丹塗りの漆で統一され、極彩色の装飾が施されることで、一貫した美的統一感が生み出されている。
この漆塗りの技法は、日本建築における最高級の仕上げ手法であり、耐久性と美観を兼ね備えている。朱色の漆は経年により独特の深みを増し、建物に格調高い雰囲気を与える。祐徳稲荷神社では、この伝統技法が現代まで継承され、定期的な修復を通じて創建当時の美しさが保たれている。
本殿の細部には、精緻な彫刻や金箔装飾が施されている。柱や梁には唐獅子や鳳凰などの吉祥文様が彫り込まれ、極彩色で彩られている。これらの装飾は、神社建築における伝統的な意匠を忠実に継承しながらも、角南隆の設計による現代的な再解釈が加えられている。
境内配置の妙
境内は錦波川を境として西側に本殿、神楽殿、楼門が配置され、楼門から北側には参集殿が設けられている。この配置は、参拝者を段階的に神域へと導く動線計画が巧みに設計されており、門前から本殿に至るまでの空間体験が計算されている。
境内入口の楼門は、朱塗りの柱と白壁のコントラストが美しい二層の門である。この楼門をくぐると、正面に急な石段が現れ、その先に本殿の姿が見える。石段の両脇には朱色の欄干が設けられ、参拝路を明確に示している。
近年、バリアフリー対応としてエレベーターが設置された(片道100円)。117段の階段を登ることが困難な参拝者でも本殿まで到達できるよう配慮されている。伝統建築の保全と現代的な利便性の両立を実現した好例といえるだろう。
奥之院への山道
本殿からさらに山道を約15分登ると、標高約150メートルの位置に奥之院がある。この奥之院は命婦社とも呼ばれ、岩窟の中に社殿が建てられている独特の構造だ。
山道は整備されており、参拝路としても散策路としても楽しめる。途中、緑豊かな森林に囲まれた静寂の空間を体験できる。奥之院からは有明海を一望でき、晴れた日には雲仙岳まで見渡すことができる。

この奥之院への参拝路は、本殿の華やかさとは対照的な、自然と一体化した神聖な空間を演出している。建築と自然環境を調和させる神社建築の理想が、ここに体現されている。
焼失と再建の歴史
祐徳稲荷神社の歴史は平坦ではなかった。初代社殿は貞享4年(1687年)、花山院萬子媛によって創建された。萬子媛は後陽成天皇の曾孫にあたる高貴な出自を持ち、京都から鹿島へ輿入れする際、朝廷の勅願所であった稲荷大神の分霊を勧請したのが始まりである。
明治期には神仏分離令により、それまで「祐徳院」と呼ばれていた寺院形態から神社へと改められた。このとき、仏教的要素が排除され、純粋な神社建築としての整備が進められた。
そして昭和24年(1949年)5月、本殿から出火し、社殿の多くを焼失する大火災が発生した。この火災により、260年以上の歴史を持つ初代社殿は失われたが、氏子や全国の崇敬者の支援により、わずか8年後の昭和32年(1957年)に現在の社殿が再建された。
この再建に際して設計を担ったのが角南隆であり、伝統的な神社建築の様式を忠実に守りながらも、近代建築技術を取り入れた堅牢な構造を実現した。再建から60年以上が経過した現在も、その美しさと強度を保ち続けている。
社殿を彩る四季の景観
祐徳稲荷神社は四季折々の自然景観も魅力のひとつである。春には境内に植えられた桜が満開となり、朱色の社殿と桜のピンクが美しいコントラストを描く。初夏には新緑が眩しく、社殿を包み込むように生い茂る。
秋には紅葉が境内を彩り、朱色の社殿と紅葉の赤が重なり合う幻想的な風景が広がる。特に11月下旬から12月上旬にかけては、モミジやイチョウが色づき、多くの参拝者や写真愛好家が訪れる。
冬には雪化粧をした社殿が見られることもあり、白と朱のコントラストが神秘的な雰囲気を醸し出す。四季を通じて異なる表情を見せる祐徳稲荷神社は、何度訪れても新しい発見がある。

境内に残る文化財と施設
境内には本殿以外にも注目すべき建造物が点在している。神楽殿は総漆塗りの建物で、祭礼時には神楽が奉納される。拝殿前に配置されており、本殿との調和を考慮した意匠となっている。
参集殿は参拝者の休憩所として利用されており、内部には祐徳稲荷神社の歴史を紹介する展示がある。また、祐徳博物館では、花山院萬子媛ゆかりの品々や歴代藩主ゆかりの文化財が展示されている。
境内の東側には祐徳稲荷神社の御神水が湧き出る場所があり、参拝者はこの水を汲んで持ち帰ることができる。この御神水は古くから霊験あらたかとされ、信仰の対象となってきた。
アクセスと見学情報
祐徳稲荷神社へのアクセスは、JR長崎本線肥前鹿島駅からバスまたはタクシーが便利である。肥前鹿島駅からは祐徳バス「祐徳稲荷神社前」行きに乗車し、約10分で到着する。タクシーの場合も約10分、料金は約1,500円程度だ。
車でのアクセスは、長崎自動車道武雄北方ICから約30分、嬉野ICから約25分。境内に隣接して大型の参拝者駐車場(無料)が整備されている。第1駐車場は境内入口に最も近く約300台収容可能、第2駐車場は約200台収容可能で、いずれも無料で利用できる。初詣や紅葉シーズンなどの繁忙期には臨時駐車場も開設される。
参拝時間は24時間可能だが、社務所や祐徳博物館の開館時間は8:30~16:30となっている。奥之院へのエレベーターは8:30~16:30の運行(片道100円)。
祐徳博物館の入館料は大人300円、学生200円、小中学生100円。境内への入場および本殿の参拝は無料である。
御朱印は社務所で受けることができ、複数種類の御朱印が用意されている。また、奥之院でも別の御朱印を授与している。
建築が伝える信仰の結晶
江戸初期の創建から現代まで。角南隆が手がけた昭和の再建建築。そして総漆塗り極彩色の荘厳な美しさ。祐徳稲荷神社は、一つの建造物の中に、日本人の稲荷信仰の歴史と神社建築の粋が凝縮されている。
昭和の火災を乗り越え、角南隆の設計により蘇った本殿は、伝統的な神社建築の様式を忠実に継承しながらも、近代建築技術を取り入れた堅牢な構造を実現している。総漆塗り極彩色の社殿は、時代が変わっても、日本建築の本質的な美しさと神聖さを失わない。それこそが、この神社が年間300万人もの参拝者を惹きつけ続ける理由なのだろう。
佐賀を訪れる機会があれば、ぜひ祐徳稲荷神社に足を運んでいただきたい。江戸から昭和、そして現代へと続く稲荷信仰の系譜と、「鎮西日光」と称される建築美に、きっとあなたも心を動かされるはずだ。
祐徳稲荷神社
- 所在地:佐賀県鹿島市古枝乙1855
- 創建:貞享4年(1687年)
- 創建者:花山院萬子媛
- 再建:昭和32年(1957年)
- 設計者:角南隆(伊勢神宮造営局長)
- 構造:木造、舞台造り、総漆塗り極彩色
- 参拝時間:24時間(社務所8:30~16:30)
- エレベーター:8:30~16:30(片道100円)
- 博物館入館料:大人300円、学生200円、小中学生100円
- アクセス:JR肥前鹿島駅からバス約10分「祐徳稲荷神社前」下車
- 駐車場:無料駐車場あり(第1駐車場約300台、第2駐車場約200台)
- 問い合わせ:祐徳稲荷神社社務所(0954-62-2151)
- 公式サイト:https://www.yutokusan.jp/

コメント