世田谷線の宮の坂駅を降りると、すぐ目の前に朱色の鳥居が見える。世田谷八幡宮である。そこから電車で数分、松陰神社前駅で降りれば、商店街を抜けた先に吉田松陰を祀る松陰神社が佇んでいる。この二つの神社は、いずれも世田谷の歴史を今に伝える重要な建築遺産だ。一つは900年以上の歴史を持つ古社、もう一つは明治の精神を体現する神社。対照的な成り立ちを持つ両社を、建築の視点から紐解いていく。
世田谷八幡宮 – 源義家が創建した古社
源氏の戦勝祈願から始まった歴史
世田谷八幡宮の歴史は、寛治5年(1091年)まで遡る。後三年の役を平定した源義家が、奥州からの帰途、この地で豪雨に遭遇した。数日間の滞在を余儀なくされた義家は、戦勝を八幡大神の加護と考え、この地に豊前国(現在の大分県)の宇佐八幡宮から分霊を勧請したのが始まりとされる。

しかし、実質的な社殿の建立は、天文15年(1546年)のことである。世田谷城主七代目の吉良頼康が、社殿を造営した。吉良氏は室町幕府の重鎮であり、世田谷一帯を治めていた。その後、天正19年(1591年)には徳川家康から社領として11石が寄進され、以降、江戸時代を通じて徳川代々の将軍による朱印地として保護を受けることになる。
江戸時代の世田谷八幡宮は、世田谷領の総鎮守として崇敬を集めた。特に農業が盛んだったこの地域では、五穀豊穣を祈る祭礼が盛大に執り行われた。また、江戸三大相撲の一つとして知られる奉納相撲も行われ、多くの人々で賑わったという。
二重構造で守られた江戸の本殿
現在の社殿を見ると、その壮麗な佇まいに目を奪われる。昭和39年(1964年)に鉄筋コンクリート造で改築された本殿は、伝統的な様式を踏襲しながらも、近代建築の技術を取り入れた建造物である。だが、この社殿の真の価値は、その内部に隠されている。
文化10年(1813年)に建立された旧本殿が、現在の鉄筋コンクリート造の本殿の中に、そのまま納められているのだ。江戸時代後期の建築様式を持つ木造本殿を、新しい構造体で包み込むという、極めて独特な保存方法である。これは、木造建築の維持管理の困難さと、防火・耐震性能の向上という実用的な要請を同時に解決する、戦後の神社建築における一つの解答だった。
1964年という年は、東京オリンピックが開催された年でもある。高度経済成長期の真っ只中、日本全国で近代化が進む中、伝統建築をいかに保存するかは大きな課題だった。世田谷八幡宮の二重構造は、その時代の苦心と工夫を今に伝えている。
境内建築と奉納相撲の土俵
境内に足を踏み入れると、まず朱色の大鳥居が参拝者を迎える。この鳥居は、俗界と聖域を分かつ結界の役割を果たし、視覚的にも強い印象を与える。鳥居をくぐると、右手に土俵が目に入る。江戸三大相撲の伝統を今に伝えるこの土俵では、現在も毎年9月の秋季大祭に東京農業大学相撲部による奉納相撲が行われている。

参道は石畳で整備され、緑豊かな社叢に包まれている。本殿に向かって進むと、途中に厳島神社などの摂社が配置されており、境内全体が複層的な信仰空間を形成している。都市部にありながら静謐な雰囲気を保つこの空間は、かつての江戸近郊の農村地帯の面影を色濃く残している。
拝殿は入母屋造りで、本殿と幣殿が一体となった権現造りの構成を持つ。朱塗りの柱や梁、金具の装飾など、神社建築の伝統的な意匠が随所に施されている。昭和の再建でありながら、江戸時代からの建築様式を忠実に継承している点が、この社殿の特徴である。
松陰神社 – 明治の精神を伝える社殿
門下生たちが守った師の墓所
松陰神社の歴史は、世田谷八幡宮に比べれば新しい。しかし、その成り立ちは、日本近代史における重要な物語と深く結びついている。

安政6年(1859年)10月27日、安政の大獄により江戸伝馬町の獄中で刑死した吉田松陰。その遺骸は当初、小塚原回向院に葬られた。だが、文久3年(1863年)正月、高杉晋作、伊藤博文ら門下生の手により、この世田谷の地に改葬された。
この地は、寛文12年(1672年)、第二代萩藩主毛利綱広在府の折、長州藩が若林村の百姓から購入した土地であった。「大夫山」あるいは「長州山」と呼ばれていたこの抱屋敷に、松陰の墓所が設けられたのである。門下生たちは、師の墓を守り、墓参を続けた。
明治15年(1882年)11月21日、この墓所の地に、ついに松陰神社が創建された。門下生たちの手によって建てられた最初の社殿は、質素ながらも師への敬愛に満ちたものだったという。その後、松陰の教えと精神は、明治という新しい時代を生きる人々の心の拠り所となり、神社は次第に整備されていった。明治時代には府社に列格し、その格式を高めていく。
昭和初期に造営された現社殿
現在の社殿は、昭和2年(1927年)から昭和3年(1928年)にかけて造営されたものである。明治15年の創建から約45年を経て、より立派な社殿が求められたのは、松陰に対する崇敬の念が時代を超えて広がっていったことを示している。
昭和初期の神社建築の特徴を持つ社殿は、端正な造りで知られる。設計者や施工者についての詳細な記録は公開されていないが、当時の神社建築様式を踏襲しながら、明治の精神を体現する建築物として計画されたことは間違いない。
拝殿は入母屋造りで、本殿と幣殿が接続する形式を取る。木造建築の温かみと、格式ある神社建築の威厳が調和している。松陰の質素な生き方を反映するかのように、過度な装飾は控えられ、簡潔な美しさが追求されている。
境内配置と松下村塾の模築
境内は明確な軸線を持った配置となっている。平成23年(2011年)に建て替えられた黒い鳥居は、それまでの御影石製の鳥居とは異なる風格を持つ。旧鳥居は明治41年(1908年)に作られたもので、その一部が境内に展示されている。100年以上の時を経た石材は、幾多の参拝者を見守ってきた歴史の重みを感じさせる。

参道は石畳で整備され、起伏が少ないため、車椅子やベビーカーでも参拝しやすい設計となっている。現代的な配慮がなされている点も、この神社の特徴である。
境内の右手中ほどには、吉田松陰の座像が配置されている。さらに右手奥には、松下村塾を模した建物が建つ。この模築は、山口県萩市にある本物の松下村塾を再現したもので、幕末の教育現場の雰囲気を今に伝える重要な建造物である。木造平屋建ての質素な造りは、松陰が門下生に教えを説いた当時の姿を忠実に再現している。
松陰をはじめとする烈士たちの墓所も境内にあり、32基の石灯籠が立ち並ぶ神々しい霊域を形成している。これらの石灯籠は、松陰の縁故者や門下生の子孫から奉納されたもので、歴史的価値が高い。墓所周辺は厳粛な雰囲気に包まれており、参拝者は自然と襟を正す。
二つの神社へのアクセス
世田谷八幡宮と松陰神社は、いずれも東急世田谷線沿線にあり、徒歩圏内で両社を巡ることができる。世田谷線は、三軒茶屋駅と下高井戸駅を結ぶ5キロメートルほどの路面電車で、のんびりとした旅情を味わえる。
世田谷八幡宮へは、世田谷線「宮の坂駅」から徒歩約1分。改札を出て目の前という、これ以上ないほど便利な立地である。小田急小田原線「豪徳寺駅」からも徒歩約10分でアクセスできる。駐車場は鳥居の向かい側に参拝者専用のものがあるが、秋季大祭などイベント時は使用できない場合がある。周辺にはコインパーキングもあるため、車での訪問も可能だが、公共交通機関の利用が無難だろう。
松陰神社へは、世田谷線「松陰神社前駅」から松陰神社通り商店街を北へ徒歩約3分。レトロな雰囲気の商店街を抜ける参道は、それ自体が魅力的な体験となる。渋谷駅や五反田駅、用賀駅からバスでもアクセス可能で、松陰神社前や世田谷区民会館で下車すればよい。
駐車場は境内に有料駐車場が20台分用意されている。料金は最初の20分が無料で、以後120分までは20分ごとに220円、120分以降は30分ごとに440円となる。営業時間は7時から17時で、17時以降は出庫できないため注意が必要だ。なお、12月31日から1月3日の年末年始期間は駐車場が利用できない。
世田谷に残された建築遺産
世田谷八幡宮と松陰神社。900年以上の歴史を持つ古社と、140年余りの歴史を持つ近代の神社。この二つの神社は、対照的な成り立ちを持ちながら、いずれも時代を超えて守られてきた建築遺産である。
世田谷八幡宮の二重構造の本殿は、江戸時代の建築を現代の技術で保護するという、独創的な保存手法を示している。文化財保護と実用性を両立させたこの試みは、高度経済成長期の日本が直面した課題への一つの解答だった。
松陰神社は、明治維新という近代日本の原点を伝える場所である。門下生たちが師の墓を守り続け、社殿を建立し、維持してきた歴史は、日本人の師弟関係や恩義を重んじる精神文化を体現している。境内に再現された松下村塾は、幕末の教育の場を今に伝える貴重な建築物だ。
世田谷線という歴史ある路面電車に揺られながら、これらの神社を訪れることは、東京の歴史を辿る旅となる。高層ビルが立ち並ぶ都市の中に残された静謐な空間で、かつての人々の信仰と営みに思いを馳せる時、建築はただの構造物ではなく、時代の記憶を宿す存在であることを実感するだろう。
近代建築の巨匠、前川國男が設計した世田谷区役所も徒歩圏内にある。神社巡りとともに、昭和のモダニズム建築を訪れれば、世田谷の建築的な奥深さをより堪能できるはずだ。
世田谷八幡宮
- 所在地: 東京都世田谷区宮坂1-26-3
- 創建: 寛治5年(1091年)、天文15年(1546年)社殿造営
- 現社殿: 昭和39年(1964年)再建(鉄筋コンクリート造)
- 旧本殿: 文化10年(1813年)建立(現本殿内に保存)
- 主祭神: 応神天皇(八幡大神)
- 構造: 権現造(本殿・幣殿・拝殿)
- アクセス:
- 東急世田谷線「宮の坂駅」徒歩約1分
- 小田急小田原線「豪徳寺駅」徒歩約10分
- 駐車場: 参拝者専用駐車場あり(イベント時は使用不可の場合あり)
- 電話: 03-3429-1732
- 参拝時間: 境内自由
- 御朱印: 書き置き(500円)
松陰神社
- 所在地: 東京都世田谷区若林4-35-1
- 創建: 明治15年(1882年)
- 現社殿: 昭和2年〜3年(1927-1928年)造営
- 主祭神: 吉田松陰
- 墓所改葬: 文久3年(1863年)
- アクセス:
- 東急世田谷線「松陰神社前駅」徒歩約3分
- 東急世田谷線「若林駅」徒歩約5分
- バス: 渋谷駅から渋52・21・22・23・24・26系統、五反田駅から反11系統、用賀駅から渋22系統
- 駐車場: 境内に有料駐車場20台(最初20分無料、以降120分まで20分220円、120分以降30分440円)
- 営業時間: 7:00〜17:00(17:00以降出庫不可)
- 年末年始(12/31〜1/3)は利用不可
- 電話: 03-3421-4834
- 参拝時間: 7:00〜17:00
- 御朱印: 社務所にて(毎月27日は特別版)


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